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練馬ほっと・キャスト 特別企画 練馬にいた! アニメの巨人たち

練馬区ゆかりのアニメクリエイターと、その作品の魅力を探る「練馬にいた!アニメの巨人たち」。
アニメ研究家の氷川竜介さんとアニメ史研究家の原口正宏さんが、そのクリエイターの魅力についてたっぷり語ります。

  • アニメ研究家 氷川竜介さん
  • アニメ史研究家 原口正宏さん

第22回 手塚治虫さん(マンガ家・アニメーション制作者)その2

今回も引き続き、マンガ家・アニメーション制作者の 手塚治虫 さんについてとりあげます。
第21回 手塚治虫さん(マンガ家・アニメーション制作者)その1はこちら
手塚治虫さんは、日本のマンガ文化に大きな変革をもたらした“マンガの神様”でもありますが、日本のアニメーション文化にも巨大な足跡を残しています。
手塚さんが、最初にアニメーション作品の仕事に携わったのは、練馬区大泉にある東映動画の劇場作品 『西遊記』 。その後、自らアニメーション制作スタジオを練馬区富士見台に立ち上げ、「鉄腕アトム」で30分枠連続TVアニメシリーズという驚異の方法論を生み、日本のアニメーション制作にも大変革をもたらしました。


※当サイト映像講座練馬のアニメスタジオの遺伝子 虫プロダクション編では、手塚治虫氏についても詳しく紹介しています。

手塚治虫さん プロフィール

「鉄腕アトム」、「ブラック・ジャック」、「火の鳥」など数多くの代表作を持つ。1946年に「マアチャンの日記帳」(4コママンガ)でデビュー。1947年の描き下ろし単行本「新寶島」は大ヒットとなる。1950年からはマンガ雑誌において「ジャングル大帝」、「鉄腕アトム」、「リボンの騎士」などの作品を次々と発表する。アニメーションに興味を持っていたことから、東映動画(現・東映アニメーション)より 「ぼくの孫悟空」を原案とする長編アニメ映画『西遊記』(60)制作の企画打診がありこれに参加。1961年には自らアニメスタジオ「手塚治虫プロダクション動画部」(1962年に「虫プロダクション」に改称)を立ち上げた。ここで、1963年から日本初の30分枠連続TVアニメ「鉄腕アトム」などの作品を制作。その後もマンガ家、アニメーション制作者として、精力的に作品を発表し続けた。1989年逝去。

※以下の画像と解説をご覧になりながらお聞きください。
また、今回の内容には、紹介する作品のネタバレも含みます。ご注意ください。

収録のようすと用語解説

劇場作品で、いま見てほしい1本は?

■ 『千夜一夜物語』
虫プロダクションが制作し、1969年に公開された劇場用アニメーション映画。《大人のためのアニメーション》と銘打った〈アニメラマ〉シリーズの第1作目。中世のイスラム世界を描いた一大説話集「千夜一夜物語」を現代的に解釈したストーリーになっている。
当時マルチタレントとして活躍しており、後に参議院議員・東京都知事を務める青島幸男氏が、主人公・アルディンを演じている。
総指揮:手塚治虫 監督:山本暎一 美術監督・キャラクターデザイン:やなせたかし 作画監督:宮本貞雄
■ アニメラマ
虫プロダクションが制作した、《大人のためのアニメーション》と銘打った劇場用アニメ映画の総称。 『千夜一夜物語』(69)、『クレオパトラ』(70)、『哀しみのベラドンナ』(73)の3本を指す
■  冨田 勲(とみた いさお)
作曲家、編曲家、シンセサイザー・アーティスト。1950年代に慶應義塾大学文学部在学中から作曲家として活動を始め、ラジオ番組、TV番組、映画などの音楽を多数担当。「新宝島」(65)、「ジャングル大帝」(65~66)、「リボンの騎士」(67~68)、「どろろ」(69)、『千夜一夜物語』(69)などの虫プロダクション作品にも参加している。2016年逝去。
■ 虫プロ
アニメーション制作会社・虫プロダクションの通称。1961年にマンガ家でアニメーターでもあった手塚治虫が設立し、1973年まで活動したアニメスタジオ「株式会社虫プロダクション」(旧)と、1977年に旧虫プロの労働組合を母体として設立された「虫プロダクション株式会社」(新)がある。ここでは虫プロダクション(旧)を指す。 虫プロダクションには、芦田豊雄氏、川尻善昭氏、杉井ギサブロー氏、高橋良輔氏、出﨑統氏、富野喜幸(現・由悠季)氏、丸山正雄氏、安彦良和氏、吉川惣司氏、りんたろう氏などが在籍していた。この虫プロダクションで、1963年に制作された日本初の30分枠連続TVアニメ「鉄腕アトム」は、日本のアニメビジネスの先駆けとなった。
※当サイト練馬のアニメスタジオの遺伝子 虫プロダクション編でも詳しく紹介しています。
■ 「勇者ライディーン」
1975~76年に全50話で放送されたTVアニメ。アニメーション制作は、虫プロ出身者で設立された創映社(現・サンライズ)が担当。
チーフディレクター:富野喜幸(現・由悠季)(第1話~第26話) 総監督:長浜忠夫(第27話~第50話)キャラクターデザイン・作画監督:安彦良和 作画監督:野崎恒仲、佐々門信芳、谷口守泰ほか
■ コンバトラーV
1976~77年に全54話が放送されたTVアニメ「超電磁ロボ コン・バトラーV」のこと。東映テレビ事業部が企画し、アニメーション制作は創映社(現・サンライズ)が担当。
総監督:長浜忠夫 キャラクター原案:村野守美、成田マキホ アニメーションキャラクター:安彦良和 作画監督:金山明博、林政行、塩山紀生、安彦良和ほか
■ 山本 暎一(やまもと えいいち)
アニメーション監督。1961年に設立された、虫プロダクションの創設メンバーの一人。同社最初の短編映画『ある街角の物語』で演出、編集、原画を担当。「鉄腕アトム」(63~66)、「ジャングル大帝」(65~66)、「ジャングル大帝 進めレオ!」(66~67)では、演出、作画、脚本、プロデューサーなどを兼任した。《大人のためのアニメーション》と銘打った〈アニメラマ〉と呼ばれる劇場用アニメシリーズ『千夜一夜物語』(69)、『クレオパトラ』(70)、『哀しみのベラドンナ』(71)では、監督を務めた。その後、1974年に放送が開始されたTVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」(74~75)に企画段階から参加している。
■ 『哀しみのベラドンナ』
虫プロダクションが制作した、1973年公開の劇場用アニメ映画。〈アニメラマ〉シリーズの3作目。中世フランスの農村を舞台に、愛する夫のために悪魔と契約した女性・ジャンヌの哀しい物語。映像的には、挿絵画家の深井国氏をフィーチャーし、氏のイラストのイメージで全編を制作。セル画のテイストを極力排除。静止画、イラストのアニメート、グラスペイント、サイケなグラフィックアニメなど、タッチや画風の異なる複数の映像表現が、物語の流れのなかに唐突に混入するという実験的なスタイルが採られている。
原作:ジュール・ミシュレ 企画構成・監督:山本暎一 作画監督:杉井ギサブロー
■ 杉井 ギサブロー(すぎい ぎさぶろう)
アニメーション監督。1958年に東映動画に入社。大塚康生氏の元で、アニメーターとして『白蛇伝』(58)に参加。後に虫プロダクションに移籍し「鉄腕アトム」(63~66)で演出も手掛ける。1969年にグループ・タックを設立した。総監督を務めたTVアニメ「タッチ」(85~87)は大ヒットした。
■ 「ジャングル大帝」
虫プロダクションが制作し、1965~66年に全52話が放送されたTVアニメ。手塚治虫氏の同名マンガが原作。白いライオン・レオを中心に、大自然で繰り広げられる生存競争や、人間と動物との関わりなどが描かれる。
続編となる「ジャングル大帝 進めレオ!」が、1966~67年に全26話で放送された。
原作:手塚治虫 監督:山本暎一、八村博也 作画監督:勝井千賀雄
■ 東映動画(現・東映アニメーション)
1956年に練馬区大泉に設立された、60年の歴史を持つアニメーション制作会社。当初の制作体制は、「動きで表現することを大事にする」ことを特徴とした劇場作品を、1年間に1本のペースで製作・公開していた。1963年からはTVアニメの制作もスタート。以降現在に至るまで、「ドラゴンボール」シリーズ、「デジモン」シリーズ、「ONE PIECE」シリーズ、「プリキュア」シリーズなど、数多くの劇場作品、TVシリーズを発表し続けている。 ※その設立から初期のスタッフについては、当サイト練馬のアニメスタジオの遺伝子 東映動画編で詳しく紹介しています。
※練馬にいた!アニメの巨人たち第18回第19回第20回では、東映動画初期劇場作品を作った人々を取り上げています。
■ ホルスの大冒険
東映動画が制作した1968年公開の劇場用アニメ『太陽の王子 ホルスの大冒険』のこと。
高畑勲氏の劇場用長編アニメ監督デビュー作。深沢一夫氏によるアイヌ民族の伝承を題材にした戯曲「チキサニの太陽」が原作で、深沢氏が脚本も手掛けた。
監督(クレジットは「演出」):高畑勲 作画監督:大塚康生 場面設計・美術設計:宮崎駿 原画:森康二、太田朱美、奥山玲子ほか
■ 『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険』
1962年に公開された、東映動画の劇場用アニメ。アラビアンナイト(千夜一夜物語)の一篇、「船乗りシンドバードの物語」をモチーフにした作品。
監督:藪下泰司、黒田昌郎(演出名義) 脚本:手塚治虫、北杜夫 原画:大塚康生、楠部大吉郎、奥山玲子 、大工原章、古沢日出夫、熊川正雄、喜多真佐武、勝井千賀雄
■ 深沢 一夫(ふかざわ かずお)
脚本家・作家。『千夜一夜物語』(69)の脚本を担当した。高畑勲監督の『太陽の王子 ホルスの大冒険』(68)は、アイヌ民族の伝承を題材にした深沢氏による戯曲「チキサニの太陽」が原作で、脚本も手掛けている。高畑作品には、「母をたずねて三千里」(76)でも脚本を務めた。
■ 丸山 正雄(まるやま まさお)
アニメーションプロデューサー。日本のアニメ業界の黎明期から活躍している。1965年に虫プロダクションに入社。1970年にはTVアニメ「あしたのジョー」を世に送り出した。1972年にマッドハウスを設立。数々のTVアニメやOVAを手がけた。劇場映画では、今敏監督の全作品『PERFECT BLUE』(97)、『千年女優』(02)、『東京ゴッドファーザーズ』(03)、『パプリカ』(06)を企画・プロデュース。2006年には細田守監督の『時をかける少女』をプロデュースし、次作『サマーウォーズ』(09)も担当する。片渕須直監督作品『マイマイ新子と千年の魔法』(09)、『この世界の片隅に』(16)にも、企画として立ち上げから携わった。現在はMAPPA代表取締役会長、スタジオM2代表取締役社長を務める。
※練馬にいた!アニメの巨人たち第9回第10回第11回では、丸山正雄さんをとりあげています。
■ 『クレオパトラ』
虫プロダクションが制作し、1970年に公開された劇場用アニメで、〈アニメラマ〉シリーズ第2作。クレオパトラが生きた紀元前50年のエジプトにタイムスリップした21世紀人3人の精神。強国ローマからの侵略に揺れるエジプトのために立ち上がったクレオパトラが、謀略と愛に翻弄される姿を見つめる…。
原案・構成:手塚治虫 監督:手塚治虫、山本暎一 キャラクターデザイン:小島功 作画:中村和子、波多正美、杉井ギサブロー
■ 出﨑 統(でざき おさむ)
アニメーション監督。1943年東京都生まれ。学生時代から貸本マンガ家として活躍。1963年に虫プロダクションに入社。翌年には「鉄腕アトム」の原画担当になる。1970年のTVアニメ「あしたのジョー」で、初めてチーフディレクターを務める。1972年にはアニメ制作会社マッドハウスの設立に参加。TVアニメ「エースをねらえ!」(73-74)、「ガンバの冒険」(75)「家なき子」(77-78)、「宝島」(78-79)など多数の作品の監督を務める。1979年には完全新作の『劇場版 エースをねらえ!』で、長編映画を初監督した。1980年、TVアニメ「あしたのジョー2」制作を機にマッドハウスを離れ、スタジオあんなぷるを設立。『SPACE ADVENTURE コブラ』(82)、「スペースコブラ」(82)、『ゴルゴ13』(83)を発表。「おにいさまへ・・・」(91)で手塚プロダクション制作作品に関わるようになり、1993年からOVA「ブラック・ジャック」を手掛ける。2000年代には美少女ゲームが原作の『AIR』、『CLANNAD』劇場版など、自らの新境地となる作品を監督した。2011年 逝去。 ※練馬にいた!アニメの巨人たち第5回第6回第7回第8回では、出﨑統監督をとりあげています。 ※練馬アニメカーニバル2019のプログラム《名匠・出﨑統監督を語ろう》のレポートを掲載しています。
■ ハーモニー(描き絵)
いわゆるセル画の「アニメの画」ではなく、「イラストのような絵」で表現すること。セルには線画だけを描き、背景美術が線画の中の部分も絵画のように描き込み、重ねて撮影することで作られる。通常のアニメの画面のようなベタ塗りではない、大胆かつ繊細なタッチが入ることで1枚の画として迫力ある画面を作ることができる。出﨑統監督の得意とする演出手法の1つとして知られている。
■ 画面分割
画面を上下・左右などに分割し、同じ時間軸内の別の対象物や、別アングルの同一対象物などを同時に画面に映し出す技法。碁盤目に分割した画面を連動させひとつの動きを見せたり、これらを複合して使用することもある。出﨑統監督の得意とする演出手法の1つとしても知られている。
■  「あしたのジョー」
虫プロダクションが制作し、1970年〜1971年に全79話が放送されたTVアニメ。練馬区で執筆活動をしていた高森朝雄氏(梶原一騎氏のこと。原作を担当)と、ちばてつや氏(作画)によるマンガが原作。ドヤ街に現れた不良少年・矢吹丈(ジョー)がボクシングに出会い、ライバル・力石徹との対決や死を乗り越え、ボクサーとして成長していく物語。
原作:高森朝雄・ちばてつや 監督(チーフ・ディレクター):出﨑統 作画監督:杉野昭夫、金山明博、荒木伸吾
※当サイト内、練馬アニメトピックスでは、2014年に開催された「あしたのジョー、の時代展」記念・ちばてつや先生のインタビューや、トークイベントレポートなどを掲載しています。
■ やなせたかし
漫画家、絵本作家、詩人。「アンパンマン」の作者として知られる。『千夜一夜物語』(69)には、杉井ギサブロー氏の推薦で、美術監督・キャラクターデザインとして参加。ストーリーボードの一部も描いている。2013年逝去。
実験作品で、いま着目すべき作品は?

■ 『ある街角の物語』
虫プロダクションが制作し、1962年の第1回虫プロダクション作品発表会にて公開された実験アニメーション作品。
ひとつの街角に存在する生物、無生物のそれぞれのドラマを交錯させながら、そのすべてが戦火に巻き込まれてゆく様が描かれる。
原案・構成・製作:手塚治虫 演出:山本暎一、坂本雄作 原画:山本暎一、坂本雄作、紺野修司、杉井儀三郎、石井元明、中村和子
■ 新井 亮(あらい りょう)
『ある街角の物語』の美術、キャラクターデザインを担当した。
■ 坂本 雄作(さかもと ゆうさく)
アニメーター、演出家、脚本家。東映動画出身で、『白蛇伝』(58)には動画として参加。虫プロダクションに移籍後は、『ある街角の物語』(62/演出)、「鉄腕アトム」(63~66/原画、演出、脚本)、「ジャングル大帝 進めレオ!」(66~67/脚本、演出)、『千夜一夜物語』(69/原画)等の作品で活躍した。
■ リミテッドアニメーション
《本来の動き》をきちんと描いて動かす「フルアニメーション」に対し、《本来の動き》をきちんと描いて動かす「フルアニメーション」に対し、部分的に動きを止めたりするなど誇張や制約を加えたアニメーション表現を「リミテッドアニメーション」と呼ぶ。1942年にアメリカのアニメーションスタジオUPAが本格的に導入、スタイルが確立していった。
日本のアニメーション業界では、作画枚数が1秒あたりのフィルムのコマ数(24コマ)と同数(1コマに1枚)~12枚(2コマに1枚)のものをフルアニメ。作画枚数がそれ以下(3コマに1枚が主流)、または口パクなど限られた部分しか動かさないものをリミッテッドアニメと呼ぶ場合がある。
■ UPA
ユナイテッド・プロダクションズ・オブ・アメリカ(United Productions of America、UPA)のこと。1940年代~1970年代にかけて活動したアメリカのアニメーションスタジオ。1942年に「リミテッドアニメーション」を本格的に導入、スタイルを確立させた。
■ アンクルトリス
イラストレーター・柳原良平氏が手がけた、サントリーのウイスキー「トリス」のキャラクター。1958年に「アンクルトリス」をリミテッドアニメで表現したCMが制作され、人気を博した。
■ 「鉄腕アトム」
虫プロダクションが制作し、1963~66年まで全193話が放送されたTVアニメ。日本初の30分枠連続TVアニメでもある。手塚治虫氏の同名マンガが原作。アトムは天馬博士が交通事故で死亡した息子のかわりとしてつくったロボット。御茶ノ水博士に引き取られ、人間のように心を持ったロボットへと成長していく。
原作・演出:手塚治虫 演出:杉井儀三郎、山本暎一、富野喜幸(現・由悠季)、出﨑統ほか
■ 紺野 修司(こんの しゅうじ)
アニメーター、演出家、画家。東映動画では、『白蛇伝』(58)、『安寿と厨子王丸』(61)などの劇場アニメで動画を担当。1962年には虫プロダクションに移籍。『ある街角の物語』ではポスター(バイオリン青年とピアニストの少女)を担当した。2013年逝去。
■ 高井 達雄(たかい たつお)
作曲家、音楽家。虫プロダクション作品では、『ある街角の物語』(62)や「鉄腕アトム」(63~66)に参加している。
■ 「リボンの騎士」
虫プロダクションが制作し、1967~68年に全52回が放送されたTVアニメ。手塚治虫氏の同名マンガが原作。王子として育てられた、男の心と女の心を持つサファイア王女の恋と冒険を描いたファンタジー作品。
原作・総監督:手塚治虫 チーフディレクター:勝井千賀雄、赤堀幹治 作画監督:宮本貞雄、中村和子
■ 「人魚」
虫プロダクションが制作し、1964年の第4回草月アニメーション・フェスティバルに出品された、実験アニメーション作品。英語タイトルは「Mermaid」。
原案・構成・演出・作画:手塚治虫 原画:山本繁
■ 「めもりい」
虫プロダクションが制作し、1964年の第4回草月アニメーション・フェスティバルに出品された、実験アニメーション作品。
原案・構成・演出・作画:手塚治虫 原画:山本繁
■ アニメーション三人の会
1960年に久里洋二(くり ようじ)氏、柳原良平(やなぎはら りょうへい)氏、真鍋博(まなべ ひろし)氏の三人によって結成された、アニメーション自主制作グループ。
■ 高畑 勲(たかはた いさお)
アニメーション映画監督。1959年に東映動画(現・東映アニメーション)へ入社。TVアニメ「狼少年ケン」(63~65)で初めて演出を手がけ、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(68)で劇場アニメ映画監督デビューを果たす。同僚だった宮崎駿氏とAプロダクション、ズイヨー映像(のちの日本アニメーション)と移籍し、TVアニメ「アルプスの少女ハイジ」(74)、「母をたずねて三千里」(76)、「赤毛のアン」(79)などを演出・監督する。その後、スタジオジブリの設立に参加し、『火垂るの墓』(88)、『おもひでぽろぽろ』(91)、『かぐや姫の物語』(13)など数々の作品を監督した。2018年逝去。
■ 『キングコング対ゴジラ』
1962年公開。東宝創立30周年記念作品。東宝の特撮怪獣映画『ゴジラ』シリーズの第3作。アメリカの人気モンスター「キングコング」と日本の人気怪獣「ゴジラ」が対決する本作は1255万人を動員する大ヒットとなった。
監督:本多猪四郎 特技監督:円谷英二
■ 月岡 貞夫(つきおか さだお)
アニメーション作家。高校卒業後、マンガ家・手塚治虫のアシスタントとなる。手塚氏の意向で東映動画(現・東映アニメーション)のアニメ映画『西遊記』(60)の制作に参加。この間に東映動画に入社する。自らが企画したTVアニメ「狼少年ケン」(63~65)の放送初期には、演出・原画・動画まですべて一人でこなすという「天才アニメーター」ぶりを発揮した。その後東映動画を退社し、虫プロで「W3(ワンダースリー)」(65〜66)や「悟空の大冒険」(67)などに関わった。日本大学芸術学部映画学科の講師も務めた。
■ わんぱく王子
東映動画が制作した1963年公開の劇場用アニメ『わんぱく王子の大蛇(おろち)退治』のこと。日本神話の天岩戸(あまのいわと)や八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治を題材にしたファンタジー作品。アメノハヤコマにまたがるスサノオとヤマタノオロチの空中戦は、日本アニメーション史上に残る名場面として高く評価されている。 監督(クレジットは「演出」):芹川有吾 原画監督:森康二 原画:古沢日出夫、熊川正雄、大塚康生、永沢詢、奥山玲子ほか
■ ヒョウタンツギ
手塚治虫氏のマンガ作品に唐突に登場するギャグキャラクター。瓢箪のような顔、豚のような鼻に、多数のツギハギがあるのが特徴。
■ 立体マルチ
マルチプレーン撮影台を使用して撮影された映像のこと。セルアニメの制作で使用されていた、特殊な撮影台とカメラを組み合わせたシステム。複数のセル画や背景画などを、カメラに対してそれぞれ異なった距離に配置し、それぞれを異なったスピードで動かすことができた。練馬区の石神井公園ふるさと文化館には、実際に東映動画で使用されていたマルチプレーン撮影台が展示されている。
※当サイトの練馬アニメトピックス 特集記事「ふるさと文化講座「東映アニメーションのマルチ撮影台」が開催されました」ではマルチプレーン撮影台について紹介しています。
■ 密着マルチ
通常の撮影台に重ねた複数のセルを、それぞれを異なったスピードで動かし、疑似的にマルチプレーンのように撮影された映像のこと。
■ 佐倉さん
撮影監督の佐倉紀行(さくら のりゆき)氏のこと。
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