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アニメーター 山下恭子さん インタビュー

はじめに

本企画は、アニメ史研究家・原口正宏さんが、元・東映動画アニメーターの山下(旧姓:中谷)恭子さんに当時の様子を伺ったインタビューです。山下さんは、日本最初の長編カラー劇場アニメ『白蛇伝』にも参加されており、お話は、日本の商業アニメーション黎明期の制作現場の置かれた環境や、当時のスタッフの様子を知る貴重な証言です。
本企画ではまず、本論である山下さんへのインタビューの価値をご理解いただくため、【序章】を設定し、取材者である原口さんの研究と取材への考えをお話しいただきました。
序章を先にご覧いただく事で、第一章から第七章の山下さんのインタビューをより深くお楽しみいただくことができます。

【山下恭子さん取材】
2019年6月23日(日)
由布院倶楽部(大分県由布市湯布院町)にて取材
取材者/原口正宏、道原しょう子
採録協力/藤田美穂

第二章 東映動画へ ~臨時採用の入社から、練習期間まで~

  • --その頃、アニメーションや動画に対しての知識はどのぐらいあったんですか。
  • 山下 高校時代に『ファンタジア』(注5)、それから小さいときに国策映画の、何かブタの兵隊が敵と戦ってみたいなのを観たのを微かに憶えていたくらいで。実際にどうやって作るか、という知識はまったくありませんでした。
  • --臨時採用ですよね。
  • 山下 臨時採用です。杉井ギサブロー(注6)によると200人ぐらい受けたとか。彼とは同期なんです。
  • --どんな試験だったか憶えてますか。
  • 山下 全体は憶えていないけれど、一つはっきり憶えているのは、何か「男の子が犬に追いかけられて逃げる」という場面設定を描けって言われて。紙と鉛筆を渡されて、何枚か描いたような気がしますね。それで「ええ?」って。「犬なんか描けないよ」と思って、男の子が木に登った絵を描いたんですよ。
  • --犬は描かずに。何かとんちみたいですね(笑) 一応、犬は画面の外にいるみたいなイメージ?
  • 山下 それまでに何回も何回も落ちていて、受からなくて元々、と思っていましたから。そうしたら、係の人がずっと見て回っていて……今考えたら、それは山本善次郎(注7)さんで、彼が後ろに来て覗いてて、「この爺さんは?」って思ってたら、誰かを呼んで私を指さしてたんですよ。だから、もしかしたらいけるかなと思って。そうしたら、本当に通ってしまいました。
  • --大川博(注8)社長の面接というのは、いわゆる臨時採用の試験の場合もあったんでしょうか。
  • 山下 大川さんと会った憶えはないですね。面接の時は、森(康二)(注9)さん、大工原(章)(注10)さん、藪下(泰司)(注11)さん、山本(善次郎)さん……そんなところだったんじゃないかな。
  • --よく、一般常識の試験もあったと聞くんですけど、そういうのはありましたか。
  • 山下 あったかも知れませんが、こっちは既に何年も働いていましたから、そんなのは軽くクリアしてますよ。あと、面接の時に、結婚したら云々、という質問はされたような気がしますね。「結婚したらどうしますか」みたいな質問でした。だから、「私と結婚する人なんかいませんよ」って言って(笑)
  • --何か、絶えずユーモアで切り抜けている気が……それで何となく好感を持たれたんですかね。山下(当時・中谷)さんの入社は、1958年5月18日という日付で記録に残ってます。
  • 山下 2月入社だったような記憶があります。よく憶えていませんが3ヶ月間試雇期間扱いにして、正式には5月入社にしたのかも知れません。木馬座にいた時が年末だった記憶があるから。それで辞めないでこっちを受けて藤城さんに怒られました。杉井ギサブローのことを憶えているのは、給料……彼は中学出なんですよ。だから中学出の学歴で、高校出の女と中学出の男のどっちを下にするか。500円の差をつけて、どっちを安くするか、という話を採用する方たちがしていた、と後から聞いたんです。大学出の男が1位、高校出の男が2位、大学出の女が3位……それで最後に、高校出の女と、中学出の男のどちらを下に持ってくるかで相談したんでしょうね。私が6500円だったかな、6000円だったかな。そうしたら、杉井ギサブローのほうが、男だからって500円高かったんです。
  • --そんな風に、男女と学歴できっちり初任給に差をつけられていたんですね。
  • 山下 はい。それで、採用されてから2、3か月の練習期間があったんです。堀川(豊平)(注12)さんや相磯(嘉雄)(注13)さんと一緒だったのを憶えています。ギッちゃんもいたけど、何だか遊んでばっかりでしたね(笑)。
  • --同期採用の方は、他には……生野徹太(注14)さんや桜井百合緒(注15)さんもそうですか。
  • 山下 そうです。桜井さんは、とてもきれいな絵を描いてましたね。
  • --練習期間に割り当てられていた部屋は、動画スタジオの1階?
  • 山下 はい。1階の一番奥でした。正面玄関を入ったら、廊下の左側に2階へ上る階段があり、その向かいが守衛さんの部屋。廊下をまっすぐ進むと、途中にお掃除のおばさんが3人休憩する部屋とトイレ、さらに奥に進むと、労務の部屋と撮影の部屋がありました。その一番奥が、私たちが練習していた部屋です。
  • --『白蛇伝』(注16)に参加していたアニメーターや仕上の人たちは、みんな2階より上にいたんですね。
  • 山下 そうですね。2階に上がったら、ざーっとアニメーターが並んでいて。仕上の人たちは3階にいたんです。階が違うのは、仕上げの場合は、絵の具を使うのでホコリが立っちゃいけないんですよね。結構、神経を使う職場だったんです。私たちはホコリっぽい仕事をしていますから、仕上より上の階にいることはできない。
  • --練習期間中は、どなたが山下さんたちを指導されていたんですか。
  • 山下 喜多真佐武(注17)さんですね。
  • --喜多さんも既にそういう指導的立場だったんですね。熊川(正雄)(注18)さんとかじゃないんですね。
  • 山下 熊川さんたちはもっと上で忙しいから。喜多さんとか、坂本雄作(注19)さんとかが面倒を見てくれたんです。喜多さんは、結構細やかな神経を使う人でした。まあ、先生がいなきゃ遊びますよね。わいわい騒いでいると、バッタン、バッタンと足音高くやって来るんで、シーンとして(笑)。喜多さんが後に言ってたんですけど、「足音をさせて行くと、シーンと静かになるんだよ」って。
  • --わざと足音させてたんですか。坂本さんと喜多さんは交代で来られてたんですか。
  • 山下 坂本さんは要領が良くて(笑)、指導をやるって言いながら、自分の班に引っ張る人間を物色してました。
  • --それは練習期間中に、絵が上手い人を自分の班に引っ張るみたいな?
  • 山下 自分の絵柄に合う人間をね。事実、私はその後、『白蛇伝』で坂本さんの班に組み込まれました。

山下恭子(やましたきょうこ)

旧姓・中谷恭子。1935(昭和10)年12月8日、大分県速見郡北由布村(後の湯布院町、現・由布市湯布院町)に生まれる。'58年、東映動画(現・東映アニメーション)に入社。劇場作品『白蛇伝』('58年)『少年猿飛佐助』('54年)『西遊記』('60年)で動画、『安寿と厨子王丸』('61年)『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』('62年)『わんぱく王子の大蛇退治』('63年)『ガリバーの宇宙旅行』('65年)『太陽の王子 ホルスの大冒険』('68年)などでセカンド(第二原画)を務める。'65年以降はTV作品にも参加し、『少年忍者 風のフジ丸』('65年)『ハッスルパンチ』('65年)『魔法使いサリー』('68年)などで原画を担当。社内での愛称はペコ。'72年、頚腕症候群のために現場を離れて療養。'77年7月11日に退社。'92年から湯布院町議会議員を1期務めたほか、'92年~'19年にかけては「ゆふいんこども映画祭」(第4~30回)の実行委員を長く担当した。

原口正宏(はらぐちまさひろ)

アニメーション史研究家。ライター、編集者。リスト制作委員会代表。「データ原口」の名でも知られる、アニメーションのデータ収集における第一人者。著書に「TV アニメ25年史」、「アニメージュポケットデータ2000」などがある。
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