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アニメーター 山下恭子さん インタビュー

はじめに

本企画は、アニメ史研究家・原口正宏さんが、元・東映動画アニメーターの山下(旧姓:中谷)恭子さんに当時の様子を伺ったインタビューです。山下さんは、日本最初の長編カラー劇場アニメ『白蛇伝』にも参加されており、お話は、日本の商業アニメーション黎明期の制作現場の置かれた環境や、当時のスタッフの様子を知る貴重な証言です。
本企画ではまず、本論である山下さんへのインタビューの価値をご理解いただくため、【序章】を設定し、取材者である原口さんの研究と取材への考えをお話しいただきました。
序章を先にご覧いただく事で、第一章から第七章の山下さんのインタビューをより深くお楽しみいただくことができます。

【山下恭子さん取材】
2019年6月23日(日)
由布院倶楽部(大分県由布市湯布院町)にて取材
取材者/原口正宏、道原しょう子
採録協力/藤田美穂

第七章 第二原画時代と『わんぱく王子の大蛇退治』『太陽の王子 ホルスの大冒険』

  • --山下さんは『安寿と厨子王丸』以降は、セカンド(第二原画)に昇格されたんですよね。
  • 山下 『わんぱく王子(の大蛇退治)』(注46)の時は、喜多さんの下について第二原画をやりました。池で、スサノオがお母様のイザナミ(注47)に背中を洗ってもらうところは憶えています。『ホルス』では、今度は奥山さんが原画で、その下で私が第二原画を担当しました。ヒルダが出てくるシーンをやる頻度が高かったですね。あとは、スケジュールの都合で、描いたけどカットせざるを得なかったシーンもありました。
  • --それはどこですか。
  • 山下 コロ(注48)が丘の上で、えーんと泣きながらホルスを探しながら歩くところです。動画まで完成していて、高畑さんとしては、かなり力を入れていたシーンなんだけど、ばっさり切る決断をしたんですね。
  • --一そこも、原画は奥山さん?
  • 山下 はい。奥山さんから「あのシーンを切る」って聞かされて、私が「かなり時間かけて苦労したのに」って不満を言ったんです。そうしたら、「高畑さんに文句を言って、カットするのを止めさせた人がいたから、あなたもうんとゴネてごらん」って勧められて。それで、高畑さんに直訴に行って「ひどい」って言ったら、突然怒り出してね。私に抵抗されると思わなかったみたいで、ああ、高畑さん本人が何よりも辛かったんだなあって。
  • --『ホルス』の中で、ご自分でも上手くいったなあ、と感じられているシーンはありますか。
  • 山下 ブランコに乗っているヒルダの両脇に、チロとトト(注48)がやってくるところですかね。
  • --全体に、ヒルダの繊細な表情や芝居付けは、森さんも奥山さんもご苦労されていたのでは、と感じるのですが、そのかなりの割合を、山下さんが第二原画として支えていた、というように感じます。
  • 山下 そうかも知れません。思えば、最初の『白蛇伝』の時から既に、私は細かい仕事ができる、と森さんに思われてしまったようで……そこからずーっとついて回っちゃったんですよね。
  • .
  • --『わんぱく王子』から『ホルス』にかけての時期は、奥山さんもちょうど結婚、出産、子育てが重なっていましたね。小田部羊一(注49)さんとの共働きも含め、女性アニメーターとして初めての事例に挑戦されていた頃だと思います。お友達として、山下さんが公私にわたって助けてあげていた部分もあるのでは?
  • 山下 奥山さんの息子の潮児(チョウジ)くんは、結構、私に懐いていたんです。奥山さんは、どちらかと言うと子どもを抱っこするのが苦手で、潮児くんは私に「抱っこ!」って甘えてきていましたから。彼女の郷里の仙台に行く時も、まるで乳母みたいに(笑)、私が抱っこして行くことがありました。
  • --奥山さんは、出産された後、子ども連れで出社されたこともあったそうですね。
  • 山下 はい。それまでは、女性社員に対して「結婚したら会社を辞める」という誓約書が書かされていた時期さえありました。その不平等は撤廃されたんですが、子ども連れ出勤については、まだまだ風当たりが強かったんですね。ある時、時期は忘れましたが、奥山さんが潮児君を連れて会社に来た時、会社の課長クラスが門のところにずらっと並んで、入れないようにしたんです。「もし子どもを連れて会社に入ったら処分」みたいな規定があって。ちょうど私は会社の中にいてそのことを知ったので、女性たちに動員をかけて、みんなで門の外に出ました。そして、奥山さんに「潮児君を置いて一人で中に入れ」って伝えたんです。彼女は「えー?」って言ってたけど、「いいから入れ」って。そしたら会社側は、彼女が一人で入ってきたから何も言わない。その後、今度は私がその潮児君を抱っこして中に入ったんです。
  • --何か、戦国武将が知恵比べをしてるみたいですね(笑)
  • 山下 ちょうど潮児君は私に懐いていたから、「おいで」って言ったら悠々と抱っこできたんですよ。
  • --自分の子どもじゃない赤ん坊を抱いて入るのは違反じゃないわけですよね。
  • 山下 会社側も、そこまで予想してなくて、「ええ?」という反応でした。
  • --奥山さんは、女性がそういうことをしたら角が立つんじゃないか、と思われていたさまざまなことを、男女平等の精神を大切にしながら、自らの意志で乗り越えてきたように感じますね。
  • 山下 ええ。そのことに勇気をもらった人は沢山いたと思います。今考えてみれば、彼女は意識的に突破していたんじゃないかな。やりたいようにやっているように見えた部分もあるけど、きっと意識してやったんだろうなって、今は思いますね。「ここは納得できん!」という。だから強かったんだなって。
  • --東映動画時代を振り返られて、いかがですか。
  • 山下 奥山玲子さんや高畑勲さんたちのいい友達に恵まれました。私はああいう、一種エリートの技術者集団には含まれないと思うのに、ずっと友達関係が続いていたのは、自分でも貴重なことに感じるんです。
  • --でも、さっきからお話を伺っていると、山下さんが長沼寿美子さんを褒められていたのと同じように、高畑さんも奥山さんも、それから森さんも、山下さんの動画の力をすごく評価されていたのではないかと。やっぱり友人としてと同時に、技術者としても認めていたのだと思いますよ。
  • 山下 そう思われていたのなら嬉しいですけどね。奥山さんは当時、「私は中割りをしに東映動画に来たんじゃない!」って言っていたけれど、私自身はその中割りに誇りを持ってやってきたし、「動画」や「第二原画」としての役割を大切にしていました。今でも、東映動画の一番充実した時代を、沢山の仲間とともに過ごせたことを幸せだと思っています。

山下恭子(やましたきょうこ)

旧姓・中谷恭子。1935(昭和10)年12月8日、大分県速見郡北由布村(後の湯布院町、現・由布市湯布院町)に生まれる。'58年、東映動画(現・東映アニメーション)に入社。劇場作品『白蛇伝』('58年)『少年猿飛佐助』('54年)『西遊記』('60年)で動画、『安寿と厨子王丸』('61年)『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』('62年)『わんぱく王子の大蛇退治』('63年)『ガリバーの宇宙旅行』('65年)『太陽の王子 ホルスの大冒険』('68年)などでセカンド(第二原画)を務める。'65年以降はTV作品にも参加し、『少年忍者 風のフジ丸』('65年)『ハッスルパンチ』('65年)『魔法使いサリー』('68年)などで原画を担当。社内での愛称はペコ。'72年、頚腕症候群のために現場を離れて療養。'77年7月11日に退社。'92年から湯布院町議会議員を1期務めたほか、'92年~'19年にかけては「ゆふいんこども映画祭」(第4~30回)の実行委員を長く担当した。

原口正宏(はらぐちまさひろ)

アニメーション史研究家。ライター、編集者。リスト制作委員会代表。「データ原口」の名でも知られる、アニメーションのデータ収集における第一人者。著書に「TV アニメ25年史」、「アニメージュポケットデータ2000」などがある。
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