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アニメーター 山下恭子さん インタビュー

はじめに

本企画は、アニメ史研究家・原口正宏さんが、元・東映動画アニメーターの山下(旧姓:中谷)恭子さんに当時の様子を伺ったインタビューです。山下さんは、日本最初の長編カラー劇場アニメ『白蛇伝』にも参加されており、お話は、日本の商業アニメーション黎明期の制作現場の置かれた環境や、当時のスタッフの様子を知る貴重な証言です。
本企画ではまず、本論である山下さんへのインタビューの価値をご理解いただくため、【序章】を設定し、取材者である原口さんの研究と取材への考えをお話しいただきました。
序章を先にご覧いただく事で、第一章から第七章の山下さんのインタビューをより深くお楽しみいただくことができます。

【山下恭子さん取材】
2019年6月23日(日)
由布院倶楽部(大分県由布市湯布院町)にて取材
取材者/原口正宏、道原しょう子
採録協力/藤田美穂

第六章 『西遊記』『安寿と厨子王丸』の頃の思い出の仕事

  • --山下さんは『白蛇伝』当時は、ご自宅から通われていたんですか。
  • 山下 はい、自宅は高田馬場だったんですよ。おそらく、『白蛇伝』から『シンドバッドの冒険』の途中くらいまでは、母親と一緒に暮らしていました。母親は年金もなかったですから、とにかく給料はなるべく使わずに家に持って帰らなきゃって。でも、それまでの収入に比べれば安かったし、私も残業が多くなったこともあって、結構、親子の関係に摩擦が生じましてね。今だったら、母親の不安だった気持ちや苦労が痛いほど解るんですが、「お前なんか、母親がついてなきゃ世間に通用しない」みたいなことを言われて、まさに売り言葉に買い言葉ですよね。カッとして、「じゃあ通用するかしないか、出てやろうじゃないか」って、荷物持って飛び出してしまったんです。
  • --そこから、一人暮らしが始まった。
  • 山下 ええ。東長崎に引っ越して生活を始めたら、パク(高畑勲)さんやタマ(児玉喬夫)(注38)ちゃんも近くに住んでいることがわかって。全然知らなかったんですけど、朝、みんなぎりぎりですから、乗る電車って決まってるんですよ。「何だ、ここにいたの?」って。
  • --一人暮らしの部屋というのは、どなたかに紹介してもらった部屋なんですか。
  • 山下 いえいえ、不動産屋で見て、一番安いところ。
  • --そしたら割と、みんな固まってたんですか?
  • 山下 東長崎のあっちとこっち……みたいだった。当時は1畳1000円という相場で、2畳じゃ狭いから、4畳半で3000円という部屋を選んだんですよ。陽が当たらなくて砂埃が舞い込んで、すごいところだったんですよ。水道ではなくて、井戸でね。
  • --当時は、お仕事も忙しかったでしょうから、家は「寝に帰る場所」ぐらいの感覚でした?
  • 山下 ええ。でも、家に帰って明かりがついてないのが本当に嬉しかったですね。「自分の所に帰った、自分の城だ!」って。あの頃は冬で、家の中をハエが1匹ブンブンと飛んでいたんです。それが、ある時帰ったら、何と餓死して落っこちてた。「おお!」って(笑)。食べ物がなかったからなんでしょうけど、一人暮らしの嬉しさとともに、妙に記憶に残っているんです。
  • --今、高畑さんのお話が出ましたが、初期の思い出はございますか。
  • 山下 『安寿と厨子王丸』をやってる時、彼が演出助手だったんですけど、私たちが、作画をする時に台詞のタイミングを調べたくなると、下働きを頼むように「パクさん呼んで」とか言って……。そうすると、高畑さんが飛んで来て、オープンリールのテープレコーダーを再生して、音出しをやってくれました。
  • --プレスコ(注39)されていた音声を確認したということでしょうか。口の動きのタイミングなどを、作画の人たちに知らせるためにそういうことを?
  • 山下 ええ。『安寿と厨子王丸』の時は、完全に音が先にありましたね。それから、『太陽の王子ホルス』の時は、手拍子の音を確認しながら、それを全部厳密に計算して作画に生かしました。あの、ルサンとピリア(注40)の結婚式の場面です。それこそ、秒単位まで計算してて、あまりにもキチンとやっているので、音楽の間宮(芳生)(注41)さんがびっくりしたっていう。パクさんは徹底的に考える人でしたからね。だから、彼と話していると面白いんですよ、話題が広がってね。いろんなことを教わりました。
  • --初期の長編では、他に思い出深いお仕事は?
  • 山下 『西遊記』(注42)のリンリン(注43)なんてのは可愛かったですね。悟空(注44)に食べ物を届けるシーンとか。
  • --あそこは森さんの原画だと思いますが、それを奥山さんがセカンド(第二原画)として受けて、さらに山下さんがその下で動画を担当された、ということでしょうか。
  • 山下 はい。倒れる時に、どういうタイミングで倒れるのか、中割りの入れ方一つでニュアンスが変わる。そこが難しかったです。いきなりバタッと倒れるのと、ゆっくりと堪えながら倒れるのとは違いますからね。
  • --あのシーンで、さまざまに表情を変えながら降り続ける雪の作画も見事でしたね。
  • 山下 森さんは苦労していましたね。逐次動画(注45)というんですけど、葉っぱなんかが落ちる動きを描く時は、原画を沢山描かれると、かえって中割りはしづらいんですよ。規制されるとすごい硬い動きになる。雪の場合もそう。はらはらっていう感じを出すには、上手に配置した雪を、的確に何枚かだけ描くのが大事で、そうすれば私たちも動画で動きを作りやすいんです。
  • --『西遊記』でほかに憶えていらっしゃるシーンは?
  • 山下 リンリンと初めて出会うシーンで、悟空がバッタに追いかけられるところ。
  • --あの岩を落っことしちゃうところですね。バッタに驚いてリンリンに笑われるシーン。
  • 山下 まだスタジオの周辺が田んぼだった頃で、森さんがバッタを描けないんで「バッタいないかなあ」と言うから、私たちが「取ってきてあげる」って言って探しに行ったんです。そして、「見て驚くぞ」と言いながら袋にいっぱいバッタを入れて(笑)。
  • --1匹じゃなくて(笑)……それはいたずらしたってことですか。
  • 山下 そう。「はい、森さん」って渡した。中でバッタががっさがっさ、がっさがっさ(笑)……それはよく憶えていますよ。

山下恭子(やましたきょうこ)

旧姓・中谷恭子。1935(昭和10)年12月8日、大分県速見郡北由布村(後の湯布院町、現・由布市湯布院町)に生まれる。'58年、東映動画(現・東映アニメーション)に入社。劇場作品『白蛇伝』('58年)『少年猿飛佐助』('54年)『西遊記』('60年)で動画、『安寿と厨子王丸』('61年)『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』('62年)『わんぱく王子の大蛇退治』('63年)『ガリバーの宇宙旅行』('65年)『太陽の王子 ホルスの大冒険』('68年)などでセカンド(第二原画)を務める。'65年以降はTV作品にも参加し、『少年忍者 風のフジ丸』('65年)『ハッスルパンチ』('65年)『魔法使いサリー』('68年)などで原画を担当。社内での愛称はペコ。'72年、頚腕症候群のために現場を離れて療養。'77年7月11日に退社。'92年から湯布院町議会議員を1期務めたほか、'92年~'19年にかけては「ゆふいんこども映画祭」(第4~30回)の実行委員を長く担当した。

原口正宏(はらぐちまさひろ)

アニメーション史研究家。ライター、編集者。リスト制作委員会代表。「データ原口」の名でも知られる、アニメーションのデータ収集における第一人者。著書に「TV アニメ25年史」、「アニメージュポケットデータ2000」などがある。
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