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アニメーター 山下恭子さん インタビュー

はじめに

本企画は、アニメ史研究家・原口正宏さんが、元・東映動画アニメーターの山下(旧姓:中谷)恭子さんに当時の様子を伺ったインタビューです。山下さんは、日本最初の長編カラー劇場アニメ『白蛇伝』にも参加されており、お話は、日本の商業アニメーション黎明期の制作現場の置かれた環境や、当時のスタッフの様子を知る貴重な証言です。
本企画ではまず、本論である山下さんへのインタビューの価値をご理解いただくため、【序章】を設定し、取材者である原口さんの研究と取材への考えをお話しいただきました。
序章を先にご覧いただく事で、第一章から第七章の山下さんのインタビューをより深くお楽しみいただくことができます。

【山下恭子さん取材】
2019年6月23日(日)
由布院倶楽部(大分県由布市湯布院町)にて取材
取材者/原口正宏、道原しょう子
採録協力/藤田美穂

第五章 『白蛇伝』の追い込みと、日々の食事、給料日のこと

  • --『白蛇伝』の追い込みの頃は、残業続きだったんですか。
  • 山下 カンフル注射(注34)を打たれたのを憶えてますよ。
  • --何ですかそれ?
  • 山下 追い込みに入ったら、「みんな来て」っていわれて、カンフル注射を。
  • --会社の中で!?
  • 山下 私はちょっと腹が立って打たなかったんだけど、「何で打たないの?」って言われた。それは、異様な感じで憶えてますよ。
  • --追い込みの時は、正当に残業手当が出たんですか。
  • 山下 えーと、正当だったかはわかりませんが、残業手当はもらっていました。ただね、5時に終わって5時から6時までの1時間は手当が出なかった。それは夕食を食べる待機時間だからといって。当時、夕食に蕎麦屋から出前を取るのに、「7時半まで残業しないと、うどん代出ないよ」って誰かが言っていました。
  • --お昼も、皆さんは出前を取ったりしていたんですか。
  • 山下 布袋屋っていう蕎麦屋と、笠間屋っていうのが出入りして注文を取っていました。
  • --笠間屋は何屋さんですか。
  • 山下 笠間屋は定食屋さん。私は「イカサマ屋」って呼んでたの。ご飯に目玉焼きを付けたものを売っていて、片目だから「お岩ライス」なんて名前をつけたり。ほら、トマトケチャップつけるからね。
  • --味はどうだったんですか。
  • 山下 あの当時は何を食べても美味しかったから(笑)。でも、それを取る人もいるし、取らない人もいて。私は取らなかったですね、お金払いたくなかったから。菓子パンか何かを買ってたのかな。それで給料が出ると、撮影所の傍の「リバー」というお店に一回だけ食べに行って、贅沢をしていました。布袋屋と言えば、ギサブローが石原裕次郎(注35)のファンで、その真似をよくしていたので、彼に「布袋屋裕次郎」ってあだ名をつけてた憶えがある。
  • --杉井さんがよく布袋屋を頼んでいた、ということですか。
  • 山下 何でだっただろう……よくわかんないけど「布袋屋」(笑)。ギサブローは脚が結構長かったんですよ。だから、裕次郎の真似がサマになっていたんです。
  • --後に、東映の撮影所の食堂で、みんな食券を使って食べるっていう話を聞くんですが、『白蛇伝』の時はまだそういうのはなかったんですか。
  • 山下 『白蛇伝』の時はどうだったのかな。残業すると食券が1日3食分(1食40円)貰えたのは憶えているんだけど。それで、お金の前借りはさせないけど、食券は前借りでもらえた気がします。少しずつ思い出しました。すると、食券をどんどんもらうと給料日になるとマイナスになって、マイナスの給料出た人がいます。要するに、給料袋に何も入ってないっていう。それで最初、給料は午前中に出てたんだけど、みんな給料見ると仕事しなくなっちゃうんですよね。悪くて。で、小田かっちゃん(小田克也)(注36)が明細書を自分の机に貼って、ずーっと突っ伏してたの。会社の偉い人が来て「仕事しろ」って言ったら、それを指さして(笑)。
  • --給料日っていつだったんですか。
  • 山下 25日だったと思います。それで結局、会社が動画課の給料は夕方5時ぎりぎりに出すようになった。そうするとね、大変なんですよ。出入りの業者が給料日に来て、ツケを払わせるわけ。5時ぎりぎりだから、何人かが並んで順番争いをする。早く取らないと、3人目はもう給料なくなるって。そんなことをやってました。
  • --壮絶ですね。
  • 山下 動画課内で「練鑑ブルース」(注37)という歌の替え歌が作られたんですよ。「芸術、美術とわめいても、絵描きにゃまともな職もない、親父やダチとに意見され、受けたところが東動よ……」っていう(笑)。
  • --ああ、東映動画(笑)。
  • 山下 「書類選考、面接も、身体検査も無事済んで、待ちに待ちたる速達が、地獄極楽分かれ道、大根畑のその中に、そびえ立ちますビルディング、これからおいらもこの中で、電灯相手に暮らすのか」って。その後に「クビだクビだと脅かされ……」って続くんです。まるで奴隷工場みたいでしょ(笑)。組合の集まりなんかで歌ってね、大ウケだったのを憶えています。みんなで、ワイワイとウサを晴らしていたんです。楽しい時代でした。

山下恭子(やましたきょうこ)

旧姓・中谷恭子。1935(昭和10)年12月8日、大分県速見郡北由布村(後の湯布院町、現・由布市湯布院町)に生まれる。'58年、東映動画(現・東映アニメーション)に入社。劇場作品『白蛇伝』('58年)『少年猿飛佐助』('54年)『西遊記』('60年)で動画、『安寿と厨子王丸』('61年)『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』('62年)『わんぱく王子の大蛇退治』('63年)『ガリバーの宇宙旅行』('65年)『太陽の王子 ホルスの大冒険』('68年)などでセカンド(第二原画)を務める。'65年以降はTV作品にも参加し、『少年忍者 風のフジ丸』('65年)『ハッスルパンチ』('65年)『魔法使いサリー』('68年)などで原画を担当。社内での愛称はペコ。'72年、頚腕症候群のために現場を離れて療養。'77年7月11日に退社。'92年から湯布院町議会議員を1期務めたほか、'92年~'19年にかけては「ゆふいんこども映画祭」(第4~30回)の実行委員を長く担当した。

原口正宏(はらぐちまさひろ)

アニメーション史研究家。ライター、編集者。リスト制作委員会代表。「データ原口」の名でも知られる、アニメーションのデータ収集における第一人者。著書に「TV アニメ25年史」、「アニメージュポケットデータ2000」などがある。
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