元・東映動画アニメーター 山下恭子さんインタビュー 用語解説

序章 取材者・原口正宏さん(アニメ史研究家)に聞く

注1■ 金田 伊功(かなだ よしのり)
アニメーター。東映動画や日本サンライズなどのロボットアニメなどで、ダイナミックさを強調した作画が注目される。『銀河鉄道999』(79)、『幻魔大戦』(83)などの劇場作品や 『風の谷のナウシカ』(84)をはじめとするスタジオジブリ作品ほか、数多くの作品で原画マンとして活躍した。
注2■ 奥山 玲子(おくやま れいこ)
アニメーター。東映動画の第一作目『白蛇伝』(58)より動画を担当。『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』(62)からは原画を担当。『海底3万マイル』(70)からは作画監督も務め、数々の作品で活躍する。東映動画在籍中に、小田部羊一氏と結婚。東映動画退社後の1976年には小田部氏がキャラクターデザイン・作画監督を務める「母をたずねて三千里」で作画監督補佐を務めた。以後も『じゃりン子チエ』(81)、『火垂るの墓』(88)などの作品で活躍。2007年逝去。2019年4~9月に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「なつぞら」では、主人公のモチーフの一人とされている。
注3■  東映動画(現・東映アニメーション)
1956年に練馬区大泉に設立された、60年の歴史を持つアニメーション制作会社。当初の制作体制は、「動きで表現することを大事にする」ことを特徴とした劇場作品を、1年間に1本のペースで製作・公開していた。1963年からはTVアニメの制作もスタート。以降現在に至るまで、「ドラゴンボール」シリーズ、「デジモン」シリーズ、「ONE PIECE」シリーズ、「プリキュア」シリーズなど、数多くの劇場作品、TVシリーズを発表し続けている。 ※その設立から初期のスタッフについては、当サイト 練馬のアニメスタジオの遺伝子 東映動画編で詳しく紹介しています。
※練馬にいた!アニメの巨人たち第18回第19回第20回では、東映動画初期劇場作品を作った人々を取り上げています。

第一章 東映動画以前 ~藤浪小道具と木馬座~

注4■ 木馬座
幼児・児童向けの人形劇団。1946年に影絵作家の藤城清治が中心となり「人形劇場ジュヌ・パントル」として結成。1952年に、子どたちが親しめる名前にと、「木馬座」に改称された。

第二章 東映動画へ ~臨時採用の入社から、練習期間まで~

注5■ 『ファンタジア』
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオによって制作され、アメリカで1940年に公開された長編アニメーション映画。史上初のステレオ音声作品。日本では戦後の1955年に公開された。
監督:ベン・シャープスティーン
注6■ 杉井 ギサブロー(すぎい ぎさぶろう)
アニメーション監督。1958年に東映動画に入社。大塚康生氏の元で、アニメーターとして『白蛇伝』(58)に参加。後に虫プロダクションに移籍し「鉄腕アトム」(63~66)で演出も手掛ける。1968年、グループ・タック設立に参加した。総監督を務めたTVアニメ「タッチ」(85~87)は大ヒットした。
注7■ 山本 善次郎(やまもと ぜんじろう)
映画監督、映画プロデューサー、作画監督、撮影監督、アニメーション作家。別名義で山本 早苗(やまもと さなえ)とも。1917年から日活向島撮影所で、日本初のアニメーション製作を始めた北山清太郎に師事。北山映画製作所を経て1925年には独立。山本漫画映画製作所を設立し、数々の作品を製作する。終戦後の1948年に設立した日本動画株式会社は1952年に日動映画株式会社に商号を変更。これが東映動画の前身となった。1956年に東映動画株式会社が発足すると取締役に就任。『白蛇伝』(58)より始まる東映動画の劇場用長編アニメの制作に尽力した。
注8■ 大川 博(おおかわ ひろし)
東映動画(現・東映アニメーション)初代社長兼映画会社東映の社長。1956年に東映動画を創立した。
※当サイト 映像講座練馬のアニメスタジオの遺伝子 東映動画編 前編で大川博氏について詳しく取り上げています。
注9■ 森 康二(もり やすじ)
アニメーター・作画監督。1955年、日動映画株式会社へ入社。「黒いきこりと白いきこり」(56)の脚色、キャラクター・デザイン、原画を担当。東映動画発足当初から参加。作画部門において指導的な役割を果たし、大塚康生氏、彦根のりお氏、奥山玲子氏、高畑勲氏、月岡貞夫氏、中村和子氏、小田部羊一氏、宮崎駿氏、永沢詢氏、杉井ギサブロー氏など多くの人材を育成した。
代表作品は『わんぱく王子の大蛇退治』(63)、『長靴をはいた猫』(69)、TVアニメ「ハッスルパンチ」(65~66)など。
注10■ 大工原 章(だいくはら あきら)
アニメーター。東映動画草創期から、主要スタッフとして劇場用長編アニメ映画の制作に携わる。代表作品は『白蛇伝』(58)、『少年猿飛佐助』(59)、『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』(62)など。
注11■ 藪下 泰司(やぶした たいじ)
アニメーション映画監督・演出家・企画者。1948年日本動画株式会社で、初めてアニメーション作品の制作に参加。 1958年に日本初の長編カラーアニメーション映画『白蛇伝』の演出を務める。
以後、『少年猿飛佐助』(59)、『西遊記』(60)、『安寿と厨子王丸』(61)など東映動画初期劇場作品の演出を数多く担当。
注12■ 堀川 豊平(ほりかわ とよへい)
東映動画のアニメーター。『白蛇伝』(58)、『少年猿飛佐助』(59)、『西遊記』(60)、『安寿と厨子王丸』(61)、『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険』(62)などに動画で参加。
注13■ 相磯 嘉雄(あいいそ よしお)
アニメーター・撮影監督。1958年に東映動画に入社。森康二、大工原章に師事し、『白蛇伝』(58)、『わんぱく王子の大蛇退治』(63)、『太陽の王子ホルスの大冒険』(68)、『空飛ぶゆうれい船』(69)などに参加。1967年にアニメーターの団体・アニドウを立ち上げ、第2代の会長としても活躍。1970年に撮影部に異動し、『マジンガーZ対暗黒大将軍』(74)、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(78)、『聖闘士星矢 真紅の少年』(88)などの撮影を担当した。1995年に東映アニメーションを退職。2010年からは石神井公園ふるさと文化館のサポーターとして、2012年からは区民学芸員として協力している。また、一般財団法人日本アニメーション文化財団の理事として、アニメーションの歴史的な資料の保存に尽力している。
※当サイトでは、相磯氏が出演したイベントを紹介しています。トークイベント「日本の長編アニメーションはここから始まった」
注14■ 生野 徹太(しょうの てった)
東映動画のアニメーター。『白蛇伝』(58)、『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険』(62)、『わんぱく王子の大蛇退治』(63)、『わんわん忠臣蔵』(63)、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(68)、『海底3万マイル』(70)などに動画で参加。
注15■ 桜井 百合緒(さくらい ゆりお)
東映動画のアニメーター。『白蛇伝』(58)に動画で参加。後に、虫プロダクションの実験作品『ある街角の物語』で動画を担当。
注16■ 『白蛇伝』
日本で最初に作られた劇場用長編アニメーション。東映動画が制作し、1958年に公開された。白蛇の化身・白娘(パイニャン)と、その恋人・許仙(シュウセン)の愛を綴る中国の民話「白蛇伝」をベースとした物語。
原案:上原信、監督(クレジットは「演出」)・脚本:藪下泰司、原画:大工原章、森康二、動画:大塚康生、坂本雄作、喜多真佐武、紺野修司、中村和子ほか
注17■ 喜多 真佐武(きた まさたけ)
東映動画で活躍したアニメーター、作画監督。主な参加作品に、『少年猿飛佐助』(59/動画)、『わんぱく王子の大蛇退治』(63/原画)、『わんわん忠臣蔵』(63/原画)、「魔法使いサリー」(66~68/作画監督)、「ひみつのアッコちゃん」(69~70/作画監督)などがある。
注18■ 熊川 正雄(くまかわ まさお)
戦前から活躍するアニメーター。1943年に公開された政岡憲三監督の『くもとちゅうりっぷ』では動画を担当。戦後、前述の山本善次郎氏らが興した日本動画株式会社に招かれる。東映動画の発足時には、作画の養成担当として参加。『少年猿飛佐助』(59)、『西遊記』(60)、『安寿と厨子王丸』 (61)、『わんぱく王子の大蛇退治』 (63)などでは原画を担当した。
注19■ 坂本 雄作(さかもと ゆうさく)
アニメーター、演出家、脚本家。東映動画出身で、『白蛇伝』(58)には動画として参加。虫プロダクションに移籍後は、『ある街角の物語』(62/演出)、「鉄腕アトム」(63~66/原画、演出、脚本)、「ジャングル大帝 進めレオ!」(66/脚本、演出)、『千夜一夜物語』(69/原画)等の作品で活躍した。

第三章 『白蛇伝』の頃 ~黎明期の東映動画の制作現場~

注20■ 第二原画
制作の状況により、原画マンがラフに描いたものをもとに、動きのキーとなる画を追加したり、描線をクリーンナップしたりする作業を担う(原画と動画の中間に位置する)役職のこと。初期東映動画では、動画マンの中でも上達が早く、原画に準ずる実力が認められた者が選ばれ、この作業に従事することが多かった。
注21■ 許仙(シュウセン)
『白蛇伝』(58)の主人公の青年。
注22■ 高畑 勲(たかはた いさお)
アニメーション映画監督。1959年に東映動画(現・東映アニメーション)へ入社。東映動画の同僚たちからは、〈パクさん〉と呼ばれていた。TVアニメ「狼少年ケン」(63~65)で初めて演出を手がけ、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(68)で劇場アニメ映画監督デビューを果たす。同僚だった宮崎駿氏とAプロダクション、ズイヨー映像(のちの日本アニメーション)と移籍し、TVアニメ「アルプスの少女ハイジ」(74)、「母をたずねて三千里」(76)、「赤毛のアン」(79)などを演出・監督する。その後、スタジオジブリの設立に参加し、『火垂るの墓』(88)、『おもひでぽろぽろ』(91)、『かぐや姫の物語』(13)など数々の作品を監督した。2018年逝去。
※練馬にいた!アニメの巨人たち第15回第16回第17回では、高畑勲監督を取り上げています。
注23■ 『少年猿飛佐助』
東映動画が制作した1959年公開の劇場用アニメ。
原作:檀一雄、監督(クレジットは「演出」):薮下泰司、大工原章、原画:大工原章、古沢日出夫、大塚康生、森康二、熊川正雄
注24■ スタンダード、ワイド
映画の画面サイズのこと。スタンダードは横縦比1.375:1または1.33:1(4:3)の画面サイズ。かつては映画の標準サイズだった。ワイドは、スタンダードより横方向に広いサイズのものの総称。シネマスコープ=2.35:1(12:5)などいくつかの規格がある。『少年猿飛佐助』はシネマスコープ(東映スコープ)サイズで制作された。

第四章 『白蛇伝』の頃 ~同僚の女性アニメーターたちの思い出~

注25■ 長沼 寿美子(ながぬま すみこ)
東映動画のアニメーター。『白蛇伝』(58)、『少年猿飛佐助』(59)、『西遊記』(60)、『ガリバーの宇宙旅行』(65)、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(68)、『どうぶつ宝島』(71)などに動画で参加。
注26■ 中村 和子(なかむら かずこ)
アニメーター。東映動画の『白蛇伝』(58)より動画として参加。その後、虫プロダクションへ移籍し「鉄腕アトム」(63〜66)、「リボンの騎士」(67〜68)などの作画監督や、『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(80)のアニメーション・ディレクターを担当。
注27■ 大塚 康生(おおつか やすお)
アニメーター。東映動画、Aプロダクション、日本アニメーション、テレコム・アニメーション・フィルムの各社で数々の名作を手がけた。代表作は『太陽の王子 ホルスの大冒険』(68)、「ルパン三世(1stTVシリーズ)」(71~72)、「未来少年コナン」(78)、『ルパン三世 カリオストロの城』(79)など。
注28■ 『安寿と厨子王丸』
東映動画が制作した1961年公開の劇場用アニメ。東映創立10周年記念作品。 原作は中世より伝わる「安寿と厨子王丸」という姉弟の物語。人物モデルに演技を行わせ、その実写フィルムを下敷きに、アニメーション作画を行う「ライブ・アクション方式」が一部採用されている。
監督(クレジットは「演出」):藪下泰司、芹川有吾 脚本:田中澄江 原画:大工原章、大塚康生、森康二、楠部大吉郎ほか 動画:奥山玲子、永沢詢ほか
注29■ 『太陽の王子 ホルスの大冒険』
東映動画(現・東映アニメーション)が制作した1968年公開の劇場用アニメ映画。高畑勲氏の劇場用長編アニメ監督デビュー作。深沢一夫氏によるアイヌ民族の伝承を題材にした戯曲「チキサニの太陽」が原作で、深沢氏が脚本も手掛けた。
監督(クレジットは「演出」):高畑勲 作画監督:大塚康生 場面設計・美術設計:宮崎駿 原画:森康二、太田朱美、奥山玲子ほか
注30■ ヒルダ
『太陽の王子 ホルスの大冒険』のヒロインの少女。悪魔グルンワルドに操られている。
注31■ 「なつぞら」
2019年4〜9月に放送されたNHK朝の連続テレビ小説、商業アニメーションの黎明期に活躍した女性アニメーターが主人公。当時の東映動画のスタッフをモチーフとしたキャラクターも数多く登場する。
アニメーターの小田部羊一氏が、アニメーション時代考証を務めた。小田部氏の妻でアニメーターの奥山玲子氏は、主人公・なつのモチーフの1人と言われている。
※本サイトでは練馬アニメカーニバル2019《『なつぞら』アニメーション時代考証 小田部羊一氏が語る にっぽんアニメ黎明のころ》を紹介しています。
注32■ 太宰 真知子(だざい まちこ)
東映動画のアニメーター。『白蛇伝』(58)、『少年猿飛佐助』(59)、『西遊記』(60)などに動画で参加。
注33■ フランク永井
ムード歌謡歌手。1957年に発表した「有楽町で逢いましょう」が空前のヒットとなり、トップスターとなる。
「羽田発7時50分」は、1958年に発表された。

第五章 『白蛇伝』の追い込みと、日々の食事、給料日のこと

注34■ カンフル注射
呼吸中枢刺激、強心作用があるとされていた薬品を注射すること。
注35■ 石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう)
俳優、歌手。1956年、『太陽の季節』で俳優デビュー。同年『狂った果実』で主演に抜擢されたのを皮切りに、主演映画が連続して大ヒット。映画界の大スターの1人となる。
注36■ 小田 克也(おだ かつや)
東映動画のアニメーター。『白蛇伝』(58)、『安寿と厨子王丸』(61)、『わんぱく王子の大蛇退治』(63)などの動画。『ガリバーの宇宙旅行』(65)、『どうぶつ宝島』(71)、『マジンガーZ対暗黒代将軍』(74)などで原画を担当した。
注37■ 練鑑(ネリカン)ブルース
練馬区に所在する東京少年鑑別所を略して「ネリカン」。このネリカンの入所者の悲哀を歌ったブルース。兵隊の悲哀を歌った「可愛いスーちゃん」の替え歌。1959年の映画『檻の中の野郎たち』の主題歌になったのをきっかけに、歌手の守屋浩氏、坂本九氏、山下敬二郎氏によって相次いでレコード化された。

第六章 『西遊記』『安寿と厨子王丸』の頃と思い出の仕事

注38■ 児玉 喬夫(こだま たかお)
アニメーター・演出家。東映動画では『少年猿飛佐助』(59)、『西遊記』(60)、『わんぱく王子の大蛇退治』(63)などで動画を担当、『わんわん忠臣蔵』(63)ではタイトルアニメーションを手がけた。
注39■ プレスコ
プレスコアリングの略。先にセリフを収録し、それに合わせて映像を作る制作方法。
注40■ ルサンとピリア
「太陽の王子 ホルスの大冒険」(63)の登場人物で村の住人。物語の中で婚礼を上げる。
注41■ 間宮 芳生(まみや みちお)
作曲家。『太陽の王子 ホルスの大冒険』(68)の音楽を担当。高畑勲監督作品には、『セロ弾きのゴーシュ』(82)、『火垂るの墓』(88)にも参加している。
注42■ 『西遊記』
東映動画が制作した1960年公開の劇場用アニメ。手塚治虫氏「ぼくの孫悟空」が原案。
監督(クレジットは「演出」):藪下泰司、手塚治虫、白川大作、原画:森康二、大塚康生、熊川正雄、大工原章、古沢日出夫
注43■ リンリン(燐々)
『西遊記』のキャラクター。主人公・孫悟空のガールフレンド。
注44■ 悟空
『西遊記』の主人公・孫悟空のこと。
注45■ 逐次動画
頭から順番に絵を描いていく作画方法。

第七章 第二原画時代と『わんぱく王子の大蛇退治』『太陽の王子 ホルスの大冒険』

注46■ 『わんぱく王子の大蛇(おろち)退治
東映動画が制作した1963年公開の劇場用アニメ。日本神話の天岩戸(あまのいわと)や八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治を題材にしたファンタジー作品。アメノハヤコマにまたがるスサノオとヤマタノオロチの空中戦は、日本アニメーション史上に残る名場面として高く評価されている。
監督(クレジットは「演出」):芹川有吾、原画監督:森康二、原画:古沢日出夫、熊川正雄、大塚康生、永沢詢、奥山玲子ほか
注47■ スサノオ、イザナミ
『わんぱく王子の大蛇(おろち)退治』に登場するキャラクター。スサノオは主人公の少年。イザナミはスサノオの母。
注48■ コロ、チロ、トト
『太陽の王子 ホルスの大冒険』(68)に登場するキャラクター。コロは小熊。チロは子リス。トトは白フクロウ。
注49■ 小田部 羊一(こたべ よういち)
アニメーター、キャラクターデザイナー。1959年に東映動画へ入社。アニメーターとして森康二、大工原章、楠部大吉郎の下で経験を積み、『少年猿飛佐助』『わんぱく王子の大蛇退治』などの作品に携わる。
1971年に高畑勲氏、宮崎駿氏と共に『パンダコパンダ』(72年)を制作。その後、『アルプスの少女ハイジ』(74年)、『母をたずねて三千里』(76 年)のキャラクターデザイン・作画監督などを務め、その後はフリーランスとして様々な作品に参加。また、任天堂でゲーム制作へ参加したり、大学の講師を務めるなど現在も多方面で精力的に活動を続ける。
※当サイトでは、小田部氏のトークや、出演イベントを紹介しています。
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