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練馬ほっと・キャスト 特別企画 練馬にいた! アニメの巨人たち

練馬区ゆかりのアニメクリエイターと、その作品の魅力を探る練馬アニメーションサイト新企画「練馬にいた!アニメの巨人たち」。
アニメ研究家の氷川竜介さんとアニメ史研究家の原口正宏さんが、そのクリエイターの魅力についてたっぷり語ります。

  • アニメ研究家 氷川竜介さん
  • アニメ史研究家 原口正宏さん

第6回 出﨑 統さん(アニメーション監督)その2

「あしたのジョー2」©高森朝雄・ちばてつや/講談社・TMS

第6回も引き続き、日本アニメ界に偉大な足跡を残した、アニメーション監督の出﨑統さんです。
第5回 出﨑 統さん(アニメーション監督)その1 はこちら
出﨑統監督は1963年に練馬区富士見台の虫プロダクションでキャリアをスタート。1970年のTVシリーズ「あしたのジョー」で初監督をつとめます。 《出﨑演出》とよばれる個性的な演出手法を生み出した事でも知られ、数多くのアニメ関係者に影響を与えました。 2011年に67歳で亡くなるまでに「エースをねらえ!」、「ガンバの冒険」、「家なき子」、「宝島」、「ブラック・ジャック」など、テレビ、映画、OVAなど30タイトル以上を監督した、まさに日本アニメ界の【レジェンド】といえる存在です。

出﨑監督と関係の深かった、アニメーションプロデューサー丸山正雄氏からのメッセージ

出崎統を喪った時、手塚プロ社長の松谷さんの弔事に強い説得力を感じた。曰く「これからのアニメ界の人材育成にどんな機関がどんなに金をかけようと出崎統たったひとりの実績には敵わない」そのことはアニメを知っている人間なら誰もが認める事だ。それぐらい彼の存在は大きかった。
彼は大人になることを拒否したのだと思う。永遠の少年、永遠の青春を選んだとしか思えない。これぞ出崎統の美学。

プロデューサー 丸山正雄

出﨑 統(でざき・おさむ)監督プロフィール

アニメーション監督。1943年東京都生まれ。学生時代には貸本マンガ家として作品を発表していた。1963年に虫プロダクションに入社。翌年には「鉄腕アトム」の原画担当になる。1970年のTVアニメ「あしたのジョー」で、初めて監督(チーフディレクター)を務める。1972年にはアニメ制作会社マッドハウスの設立に参加。TVアニメ「エースをねらえ!」(73-74)、「ガンバの冒険」(75)「家なき子」(77-78)、「宝島」(78-79)など多数の作品に関わる。1979年には完全新作の『劇場版 エースをねらえ!』で、長編映画を初監督した。1980年、TVアニメ「あしたのジョー2」制作を機にマッドハウスを離れ、スタジオあんなぷるを設立。『SPACE ADVENTURE コブラ』(82)、「スペースコブラ」(82)、『ゴルゴ13』(83)を発表した。「おにいさまへ・・・」(91)で手塚プロダクション制作作品に関わるようになり、1993年からOVA「ブラック・ジャック」を手掛ける。2000年代には美少女ゲームが原作の『AIR』、『CLANNAD』劇場版など、自らの新境地となる作品を監督した。2011年 逝去。

※以下の画像と解説をご覧になりながらお聞きください。
また、今回の内容には、紹介する作品のネタバレも含みます。ご注意ください。

収録のようすと用語解説

出﨑監督は日本のアニメーション文化に何を残したのか
■ 「ガンバの冒険」

©斎藤惇夫/岩波書店・TMS

東京ムービー(現 トムス・エンタテインメント)が制作し、1975年に全26話が放送されたTVアニメ。
斎藤惇夫の児童文学作品「冒険者たち ガンバと15ひきの仲間」が原作。ねずみのガンバと仲間たちが、とある島を支配する白イタチ・ノロイを倒すため冒険の旅に出る。圧倒的な強さのノロイに、ガンバたちは勝てるのか⁉ 原作:斎藤惇夫、監督:出﨑統、キャラクターデザイン・作画監督:椛島義夫、美術監督:小林七郎。
※当サイトでは、練馬アニメカーニバルで行われた「放送40周年『ガンバの冒険 』 記念ステージ」のレポートと動画を掲載しています。
練馬アニメカーニバル2015 レポート

■ 『劇場版 エースをねらえ!』

東京ムービー(現 トムス・エンタテインメント)が制作し、1979年に公開された劇場用アニメ。出崎統監督の劇場映画初監督作品。後述のTVシリーズの再編集ではなく、劇場用としてすべて新規に制作された。テニスの名門・西高の1年生岡ひろみは、超高校級のプレイヤー〈お蝶夫人〉こと竜崎麗香に憧れテニス部に入る。そんなテニス初心者のひろみを、新任コーチ宗方仁は関東地区予選出場者の1人に抜擢する。周囲の嫉妬を買い孤立したひろみは、テニス部を退部しようとするが――。原作:山本鈴美香、監督:出﨑統、作画監督:杉野昭夫、美術監督:小林七郎、撮影監督:高橋宏固。
『劇場版 エースをねらえ!』
Blu-ray 発売中
発売・販売元:バンダイビジュアル

©山本鈴美香/集英社・TMS
http://www.bandaivisual.co.jp/

■ 細田 守
アニメーション監督。1991年に東映動画(現・東映アニメーション)に入社し、アニメーターとしてキャリアをスタートさせる。1996年に社内で演出採用試験が初めて実施されこれに合格。翌年、TVアニメ「ゲゲゲの鬼太郎(第4シリーズ)」(96~98)で演出家としてデビューした。1999年には短編アニメ映画『劇場版デジモンアドベンチャー』の監督に抜擢され、2000年の『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』で大きな注目を集めた。東映アニメーションを退社後フリーとなり、マッドハウスの丸山正雄氏(当時)の勧めにより『時をかける少女』(06)を監督し大ヒット。国内外の映画・アニメ賞など23冠を受賞した。2011年にアニメーション映画制作会社〈スタジオ地図〉を設立。『おおかみこどもの雨と雪』(11)、『バケモノの子』(15)とヒット作を生み出し続けている。
■ 出﨑演出
出崎統監督が数々の作品を作る中で生み出した個性的な演出手法のこと。代表的なものとして、ハーモニー、繰り返しショット、画面分割、透過光、入射光などがある。その手法は模倣され、受け継がれ、いまも数々の作品の中で見ることができる。
■ 下田 正美(しもだ まさみ)
アニメーター、アニメーション演出家及びアニメーション監督。「セイバーマリオネットJ」(96)で初監督。代表作に「セイバーマリオネットJ」シリーズや「藍より青し」シリーズ、「ゼーガペイン」(TVシリーズ、劇場版)などがある。
■ 庵野 秀明(あんの ひであき)
アニメーター、アニメーション作家、映画監督。大阪芸術大学在学時に自主映画や自主アニメの制作を行い、それが縁で「超時空要塞マクロス」(TV、82~83)にアニメーターとして参加。1984年には宮崎駿監督作品『風の谷のナウシカ』で巨神兵のシーンの原画を担当する。同年、アニメーション制作会社GAINAXの設立に参加。同社制作の『王立宇宙軍』(87)でスペシャルエフェクトアーティスト、作画監督を担当、また、監督としてOVA「トップをねらえ!」(88~89)、TVアニメ「ふしぎの海のナディア」(90~91)を手がける。1995年には、社会現象にもなった「新世紀エヴァンゲリオン」を監督。『ラブ&ポップ』(98)で、本格的に実写映画にも進出。2006年には映像企画製作会社・株式会社カラーを設立。総監督として『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(07)を制作した。2016年に公開され、第40回日本アカデミー賞において最優秀作品賞など7冠を達成した『シン・ゴジラ』でも総監督を務めた。
■ 押井 守(おしい まもる)
東京学芸大学教育学部卒業後、タツノコプロダクションに入社、テレビアニメ「一発貫太くん」(77)で演出家デビュー。スタジオぴえろに移籍し、TVアニメ「うる星やつら」(81~86)のチーフディレクターを第106回まで務める。同シリーズの劇場版『うる星やつら オンリー・ユー』(83)で長篇映画を初監督。カルト的な人気作となる『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(84)を手がけた後フリーとなる。その後、OVA「機動警察パトレイバー」に監督・脚本として参加。同作の劇場版『機動警察パトレイバーthe Movie』(89)、『機動警察パトレイバー2 the Movie』(93)を監督した。日米英で同時公開された『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(95)は国内外のクリエイターに大きな影響を与え、日本を代表する映画監督として海外からも大きな注目を集めている。『紅い眼鏡』(87)、『アヴァロン』(01)など、実写作品にも意欲的に挑戦を続けており、『THE NEXT GENERATION パトレイバー』シリーズ(14~15)の総監督も務めた。
■ ハーモニー(描き絵)
  • 『劇場版 エースをねらえ!』より
    ©山本鈴美香/集英社・TMS
出崎統監督が数々の作品を作る中で生み出した個性的な演出手法の一つ。いわゆるセル画の「アニメの画」ではなく、「イラストのような絵」で表現すること。『劇場版 エースをねらえ!』では、岡ひろみに全力をかけて試合をする〈お蝶婦人〉の姿や、試合が終了して2人が握手するシーンなど、気持ちの昂まる場面で用いられた。 セルには線画だけで色を塗らず、背景美術のほうでキャラクターなどの線画の中の部分も描き込み、線画のセルを重ねて撮影することでセル用のベタ塗りではない、大胆かつ繊細なタッチをつけることができ、1枚の画として迫力ある画面を作ることができる。出﨑統監督は、作品の要所要所で「ハーモニー」による「止め画」を使い、強烈なアクセントをつけることを得意としていた。
※当サイト 練馬アニメトピックスでは、画集『ハーモニーという世界 ~アニメが名画になる瞬間~』の、発売記念トークイベントレポートを掲載しています。
『ハーモニーという世界 ~アニメが名画になる瞬間~』を語る が杉並区の「阿佐ヶ谷Loft A」で開催されました。
■ 宮崎駿(みやざき はやお)
アニメーション映画監督。1963年東映動画(現・東映アニメーション)へ入社。1971年に高畑勲氏、小田部羊一氏と共にAプロダクションに移籍、『パンダコパンダ』(72)に参加する。ズイヨー映像(のちの日本アニメーション)に移籍後は、「アルプスの少女ハイジ」(74)全カットの場面設定・画面構成を担当。「未来少年コナン」(78)でTVシリーズを初監督。テレコム・アニメーションフィルムに移籍し、『ルパン三世 カリオストロの城』(79)で長篇映画監督デビューを果たす。その後、『風の谷のナウシカ』(84)を経て1985年にスタジオジブリを設立し、多数の作品を監督・プロデュースする。2001年に公開された監督作品『千と千尋の神隠し』は、興行収入300億円を超え、日本歴代興行収入第1位を達成。2017年現在もこの記録は破られていない。
■ フルアニメーション
《本来の動き》をきちんと描いて動かすアニメーション技法。これに対し部分的に動きを止めたりするなど誇張や制約を加えたアニメーション表現は「リミテッドアニメーション」と呼ばれる。
日本では、作画枚数がフィルムのコマ数(24コマ/秒)と同数程度のものをフルアニメ、「作画枚数がフィル物コマ数の半程度以下、または口パクなど限られた部分しか動かさないものをリミッテドアニメ呼ぶ場合がある。
■ 「どろろ」
虫プロダクション(旧)が制作し、1969年に全26話が放送されたTVアニメ。原作は手塚治虫氏の同名マンガ。出﨑氏は、原画や演出として参加している。舞台は戦国時代。身体の各部を妖怪に奪われた少年〈百鬼丸〉は、子どもの泥棒〈どろろ〉とともに旅をしながら、妖怪と戦い自分の身体をとりもどしてゆく。 原作:手塚治虫、総監督:杉井ギサブロー、作画監督:北野英明、上口照人。
■ あんなぷる
スタジオあんなぷる のこと。マッドハウスに所属していた出崎統氏と杉野昭夫氏が、TVアニメ「あしたのジョー2」(80~81)の制作をきっかけとして独立し、1980年に設立したアニメ制作会社。スタジオ名は英語で1つのリンゴの意味の「an apple」から。 出﨑作品には、リンゴが度々描かれている。
■ ゴルゴ13
『ゴルゴ13 劇場版』のこと。東京ムービー(現 トムス・エンタテインメント)が制作した1983年公開の劇場用アニメ。超一流のスナイパー《ゴルゴ13》ことデューク東郷の活躍を描く。さいとう・たかを氏による同名マンガが原作。石油王・ドーソンの誕生パーティーのさなか、ゴルゴ13の放った銃弾がドーソンの息子の額を貫く。ドーソンは復讐のため、ゴルゴ暗殺の指令を下す。 原作:さいとう・たかを、監督:出﨑統、作画監督:杉野昭夫、美術監督:小林七郎、撮影監督:高橋宏固。
■ 「あしたのジョー」
虫プロダクション(旧)が制作し、1970年~1971年に全79話が放送されたTVアニメ。練馬区で執筆活動をしていた高森 朝雄氏(梶原一騎氏のこと。原作を担当)と、ちばてつや氏(作画)によるマンガが原作。ドヤ街に現れた不良少年・矢吹丈(ジョー)がボクシングに出会い、ライバル・力石徹との対決や死を乗り越え、ボクサーとして成長していく物語。本作では原作の中盤までが描かれている。 原作:高森朝雄・ちばてつや、監督(チーフ・ディレクター):出﨑統、作画監督:杉野昭夫、金山明博、荒木伸吾。
※当サイト内、練馬アニメトピックスでは、2014年に開催された「あしたのジョー、の時代展」記念・ちばてつや先生のインタビューや、トークイベントレポートなどを掲載しています。
■ 白木 葉子(しらき ようこ)
「あしたのジョー」のヒロイン。日本有数の大富豪である白木財閥の令嬢。力石の死後、白木ジムの会長に就任。プロモーターとしてジョーをサポートするようになる。
■ スローモーション
映像表現の一つ。高速度で撮影したフィルムを通常の速度で映写したときの画面に見られる、実際より遅い動き。また、そのように映した映像のこと。
■ カットバック
映像の編集技法のひとつ。二つ以上の場面を、長さを変えながら交互に見せること。切返しともいう。カットを対立させることによって緊張感を高めるなど、心理表現の強調にも使われる。 
■ 「家なき子」

東京ムービー(現 トムス・エンタテインメント)が制作し、1977年~1978年まで全51話が放送されたTVアニメ。立体映像〈ステレオクローム方式〉を用いた《立体アニメーション》として制作された。南フランスの農村に住む少年・レミは、怪我で出稼ぎから帰ってきた養父により、旅芸人・ビタリスに売られてしまう。一座の座員として旅をすることになったレミは、ビタリスや一座の動物たちと接しながら成長していく。原作:エクトール・アンリ・マロ、監督:出﨑統、作画監督:杉野昭夫、美術監督:小林七郎、撮影監督:高橋宏固。
「家なき子」
DVD-BOX発売中
販売元:エイベックス・ピクチャーズ

©TMS東映

■ 「宝島」

東京ムービー(現 トムス・エンタテインメント)が制作し、1978年~1979年まで全26話が放送されたTVアニメ。伝説の海賊が遺した財宝が眠る〈宝島〉の地図を手にした少年・ジムは、宝島を捜す船に乗り込むことになる。その船でジムは料理番のジョン・シルバーに出会う。男としてスケールの大きいシルバーに敬意と憧れを抱いていくジム。だがシルバーこそ財宝を狙う海賊達のリーダーだった。 原作:ロバート・ルイス・スティーブンスン、演出:出﨑統、作画監督:杉野昭夫、美術監督:小林七郎、撮影監督:高橋宏固。
「宝島」
Blu-ray-BOX発売中
販売元:エイベックス・ピクチャーズ

©TMS

■ TVのエースをねらえ!
TVアニメーション版「エースをねらえ!」のこと。東京ムービー(現 トムス・エンタテインメント)が制作し、1973~1974年に全26話が放送された。岡ひろみとお蝶夫人の直接対決までが描かれている。この作品の後半の注目点は、岡ひろみの出現によりレギュラーを外された音羽京子にスポットを当て、彼女の切実な思いを見事に昇華したことだろう。またこのシリーズが全26話かけて描いた物語を『劇場版 エースをねらえ!』はわずか88分に凝縮したことになる。氷川さんも語っているが『劇場版』と比較してご覧いただくのも面白い。原作:山本鈴美香、演出:出﨑統、作画監督:椛島義夫、杉野昭夫、北原健雄。 
■ 全面望遠の海
映像表現の一つ。望遠レンズを使って撮影をすると、標準的なレンズよりも被写体の背景が大きく映る。この効果を使い、海や川などの水面を画面全面に配置した構図。 
■ 東映
東映動画(現・東映アニメーション)のこと。1956年に練馬区大泉に設立された、60年の歴史を持つアニメーション制作会社。当初の制作体制は、「動きで表現することを大事にする」ことを特徴とした劇場作品を、1年間に1本のペースで製作・公開することを目標としていた。1963年からはTVアニメの制作もスタート。以降現在に至るまで、「ドラゴンボール」シリーズ、「デジモンシリーズ」、「ONE PIECEシリーズ」、「プリキュア」シリーズなど、数多くの劇場作品、TVシリーズを発表し続けている。その設立から初期のスタッフについては、当サイト《練馬のアニメスタジオの遺伝子 東映動画編》で詳しく紹介。 
■ 虫プロ
虫プロダクションの通称。マンガ家でアニメーターでもあった手塚治虫が設立し、1961~73年まで活動したアニメスタジオ「株式会社虫プロダクション」(旧)と、1977年に旧虫プロの労働組合を母体として設立された「虫プロダクション株式会社」(新)がある。ここでは虫プロダクション(旧)を指す。
虫プロダクション(旧)には、出﨑統氏をはじめ、芦田豊雄氏、川尻善昭氏、杉井ギサブロー氏、高橋良輔氏、富野由悠季氏、丸山正雄氏、安彦良和氏、吉川惣司氏などが在籍していた。当サイト《練馬のアニメスタジオの遺伝子 虫プロダクション編》でも詳しく紹介。
■ 東京ムービー
現 トムス・エンタテインメントのこと。1964年に設立されたアニメーション制作会社。「ビッグX」(64~65)、「巨人の星」(68~71)、「それいけ!アンパンマン」(88~放送中)、「名探偵コナン」(96~放送中) 、「ルパン三世」シリーズなど、数多くの代表作を持つ。
■ 「悟空の大冒険」
虫プロダクション(旧)が制作し、1967年に全39話が放送されたTVアニメ。「西遊記」を元にした手塚治虫氏のマンガ「ぼくのそんごくう」が原作だが、スラップスティックなギャグアニメとなっている。花果山山頂の石から生まれた孫悟空は、三蔵法師のお供となり天竺への取経の旅へ出る。出﨑統氏は、演出として参加している。 原作:手塚治虫、総監督:杉井ギサブロー、作画監督:山本繁。
■ 杉井ギサブロー(すぎい ぎさぶろう)
アニメーション監督。1958年に東映動画に入社。大塚康生氏の元で、アニメーターとして『白蛇伝』に参加。後に虫プロダクション(旧)に移籍し『鉄腕アトム』で演出も手掛ける。1969年にグループ・タックを設立した。総監督を務めたTVアニメ『タッチ』は大ヒットした。
■ りんたろう
アニメーション監督。1958年に東映動画(現 東映アニメーション)に入社。『白蛇伝』(58)では仕上げ、『西遊記』(60)からはアニメーターに転向して動画を務めた。演出家を志望し、虫プロダクション(旧)に移籍、TVアニメ「鉄腕アトム」(63~66)で演出デビュー。「ジャングル大帝」(65~66)でチーフディレクターに昇進し、その後も「佐武と市捕物控」(68~69)、「ムーミン」(69~70、72)などを手がける。その後フリー演出家として、古巣である東映動画の「ジェッターマルス」(77)にチーフディレクターとして参加。1978~79年の「宇宙海賊キャプテンハーロック」でもチーフディレクターを務め、その第1話の試写を見た東映動画の今田智憲社長(当時)から、劇場版『銀河鉄道999』(79)の監督に指名される。本作は1979年度の邦画の興行成績第1位となり、当時巻き起こったアニメブームを代表する作品の一つとなった。虫プロダクション時代の同僚・丸山正雄氏のマッドハウスに制作拠点を移し、角川映画のアニメ第1弾『幻魔大戦』(83)を監督。2001年には手塚治虫氏の同名マンガを原作とした『メトロポリス』を発表、海外でも高く評価された。
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