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2014年08月01日

あしたのジョー、の時代展 高森篤子さん特別インタビュー!!

幅広い年齢層に支持され、大人気を博したマンガ『あしたのジョー』。その原作を担当したのは、『巨人の星』や『タイガーマスク』といった作品を生み出した故・梶原一騎氏(ジョーでは高森朝雄名義)でした。今は亡き梶原氏に代わり、「あしたのジョー、の時代展」に先駆けて開催された内覧会にご出席された夫人の高森篤子さんに、お話をうかがいました!

  • --「あしたのジョー」という作品を当時どんな感じでご覧になっていらっしゃったのでしょうか。
  • 主人の作品はたくさんありましたから、そのなかのひとつという意識ではありました。ただ、ほかの作品は雑誌社がタイトルを決めたりされていたものもあったと思うんですけど、「あしたのジョー」というタイトルをつけたのは主人なんですね。その「あした」という部分に、特に運命的な何かが込められているように感じて、「いい、すごくいい」と思った覚えがあるんです。あまり私とは作品に関して話をしなかった主人ですけど、「あしたのジョーってタイトルはどう思う?」と聞かれたのはよく覚えています。
  • --「あしたのジョー」を書かれているときの、梶原先生のご様子で覚えていることなどありますか?
  • ありませんありません。だいたい書き出しますと部屋から出てきません(笑)。ホッチキスで三回、原稿の角のところをカチャ、カチャ、カチャと止めて、ギシギシギシ、と椅子の音がして、ドアが開くとモウモウと煙が立ち込めていて、灰皿には山盛りに吸い殻がたまっていて、ゴホ、ゴホ、と言いながら出てくる。覚えているのはそのくらいで、どんな作品についても私には話をしなかったですね。私も子どもがいっぱいいましたから何かと忙しかったですし、おそらく主人も、女房に聞いてもわからないと思っていたでしょうしね。「あしたのジョー」に関してだけではなくて、仕事中のことはあまり私にはわかりませんでした。
  • --梶原先生は、原稿は手書きで書かれていたんですね。
  • そうです。ワープロどころかビデオの操作だってできなかったもの。おーい、って私を呼んで「チャンネル変えろー」ていう人ですから(笑)。使っていたのは2B、3Bのトンボのユニ。すごくきれいな原稿用紙でね。几帳面なんです。原稿用紙を書いて丸めてポイッみたいな、あんな光景はまったくなかったです。貧乏して物の大事さがわかっていましたから。冷蔵庫に腐ったものがあったら、ものすごく怒ってましたよ。お蕎麦屋さんのおつゆだってちゃんと冷蔵庫にとっておいて、翌日にそうめんを茹でさせて食べる。そういう人でした。
  • --失礼ながら、梶原先生にそういうイメージは抱いていなかったので少し意外でした。
  • 外見とは全然違いますよ。やさしいし、女好きでもあったし、凶暴性もありましたけど(笑)。普通の人の何十人分の多面性がありましたね。「ボディーガード牙」とか「カラテ地獄変」みたいなものを書いている一方で、「おかあさん」という、自分のおかあさんへの想いを書いた作品があったり。ひとりの人間が書けるキャラクターとは思えないほどいろいろな人物を書いたと思いますね。執筆期間は30歳で書き始めて20年、ずっと全速力。主人の作品には偽りがない。だから主人を尊敬しています。
    ものづくりをなさっている方は、空想だとかいろいろなところから作品をつくりあげるでしょうけど、主人の作品は全部が彼の分身なんです。星飛雄馬みたいに一生懸命がんばる男から、野性的なジョーから、極端なものだとSMものとか、いろいろあるわけですね。人間のなかにある恥部とか誰にも知られたくない部分とか自分だけの趣味嗜好とかを含めて、全部彼の分身なんですね。全部自分をさらけだしていたんです。そこは尊敬できる部分ですね。偽物がないんです、彼の作品には。
    「あしたのジョー」のジョーはそういう意味で、主人にいちばん近いかな。心臓の病気で病院へ入院しているときも、タバコと原稿用紙を持ってこいって言うんですよ。書くということは起きなきゃならないでしょう? 絶対タバコも吸わなきゃ気が済まないし、どうしてそこまで、と思いましたね。看護師さんがこない時間はわかるから、その隙に書いていたんでしょうね。それで翌朝病院に行きましたら、サングラスをかけて顔を隠しているけど憔悴しきった顔で、でもちゃーんと原稿をつくってあったんです。
    「あしたのジョー」の、殴られても殴られても立ち上がる気持ちが女の私にはわからなかった。本当のことを言うと。わからなかったんですけど、やめちゃったら明日がこないから、生きるために立ち上がる。そういうジョーと主人がクロスオーバーしましてね。やっと「あしたのジョー」のストーリーが女だてらにわかるようになりました。主人も男らしさと関係なく気楽に生きればよかったのに、そういうことにこだわって生きた人生でしたからね。

『週刊少年マガジン』(1971年4月1日号) 表紙絵原画 ちばてつやプロダクション蔵
©高森朝雄・ちばてつや/講談社

  • --あしたのジョーは連載中にアニメになりましたが、奥様はご覧になったことはありましたか?
  • 観ていましたよ。私、マンガは嫌いなんですよ(笑)。どうやって(コマを)追っていったらいいかわからないんです。描かれている絵をセリフと一緒にインプットしなきゃいけないので、子どものころから見慣れていないんですね。だから「あしたのジョー」はアニメをテレビで観ていました。
    月火水木金土、夜7時~8時の間は「タイガーマスク」とか「巨人の星」とか「空手バカ一代」とか「赤き血のイレブン」とか、主人の作品がだいたい同じ時間帯に、一週間びっちりとやっていたんですよ。主人はその時間は仕事をしているんですけど、主人が仕事部屋から出てくるまでは私たちもご飯を食べられないんです。待たなきゃいけない。すごい亭主関白でしたからね。だから、主人が仕事をしている間は、当時まだ小さかった子どもたちと並んで主人の作品を観ていたという記憶があります。
  • --そのアニメで、覚えていらっしゃることはありますか?
  • それがなんにもないんです。ただ、作品のなかで「力石の護国寺のお墓に行ってきたよ」などというセリフを後から見たんですが、偶然にも私、主人の墓を護国寺につくったんですよ。やっぱりこれは導かれていたんだなぁと。いろいろな場所をあたっていたんですけど、ちょうど護国寺が空いていたんですよね。ここでよかったんだーと思いました。真ん前が講談社でね。だから、ここで決めます!って。亡くなる前は体調も悪かったし、その前もいろいろありましたし、収入もひどい状態でしてね。でも、私たちは最低限の生活ができればいいから、と思ってそれを全部お墓につぎ込みました。のちのちの人が、梶原一騎のお墓を見たときに「こんなものか」と思われるようなものには絶対できませんでしたから、立派なお墓をつくろうと思いました。
  • --「あしたのジョー」は、その時代に大きな話題になりましたよね。ほかの梶原先生の作品ももちろん話題になりましたが、この作品は特に強く時代に反応したと思うんです。この作品と時代について、高森さんはどういうふうにお感じになっていらっしゃいますか?
  • 時代と人、そういったいろいろなものが重なって「あしたのジョー」が特別な作品になっていったと思うんですね。大勢の人が待ち望んでいた飢餓感とか学生たちのイライラ感とか、そういう感情をうまく代弁してくれる作品だったんじゃないかなぁと思いますね。それにしても、ちば先生と全然真逆の人間の主人とをぶつけた講談社ってすごいですよね。当時の週刊少年マガジンの内田編集長とか、当時の編集者の宮原さんとか、すごく見る目があったんでしょうね。最初コンビを組んだときは、ちば先生はすでにマンガ家として活躍していらっしゃいましたから、全然立場は上でした。主人の劇画原作者としての地位なんて、当時はまだそれほどではなかったですからね。主人のほうが年上ですけど、ちば先生のことを尊敬していましたしね。そういった人たちの思いとかが時代にマッチして、「あしたのジョー」という作品に集約されたんだと思います。
  • --今回展覧会が開かれることに関して思っていらっしゃることは?
  • うれしいです! うれしいのひとこと。残された者としては作品を守ること、大勢の人にそれを伝えていきたい、という願望が第一ですから、こういう場所と機会を提供してくださった方たちに本当に心からお礼を申し上げたいです。
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