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2016年05月30日

トークイベント「日本の長編アニメーションはここから始まった」が開催されました

去る5月8日、収蔵品企画展「ねりま発!日本のアニメ」を開催中の石神井公園ふるさと文化館で、企画展関連トークイベント「日本の長編アニメーションはここから始まった」が行われました。
ゲストに、小田部 羊一さん(アニメーター、キャラクター・デザイナー)と相磯 嘉雄さん(アニメーター、撮影監督)を迎え、日本初の長編アニメーションを制作した東映動画(現・東映アニメーション)*1についてお話をうかがいます。司会進行は、なみき たかしさん(アニメーション史家、フィルムコレクター)が務めました。
このイベントには定員いっぱいの100人が参加。アニメ業界からの参加者の姿も見られました。

東映動画入社のきっかけ


相磯 嘉雄さん

  • なみき アニメの世界に入ったのはどうしてですか?
  • 相磯 子どもの頃から絵を描くのが好きだったんです。アニメーションも大好きで、渋谷にある銀星座というニュース映画とマンガ映画専門の映画館に、月に2,3度連れて行ってもらってました。高校は定時制に通っていたのですが、その頃には機械にも興味があって、鳩時計を作る会社でアルバイトをしていました。あるとき工場長に、「時計の分解図を描いてくれないか」と言われて分かりやすく描いてみたら、製図もやらせてもらえるようになりましてね。時計もメカですから楽しかったですよ。高校を卒業する年の正月に、たまたま工場の先輩が新聞で東映動画の募集を見つけて、「マンガ映画作るんだって。おまえ絵が好きだろう?どう」って勧めてくれて。試しに受けてみたら受かっちゃったんです(笑)。すぐに会社に入ったので、しばらくは学生服のまま通ってました。


小田部 羊一さん

  • 小田部 小学生の頃から絵を描くのも、アニメーションを見るのも好きでした。ディズニーや手塚治虫さんの真似をして、落書きばかりしてましたね(笑)。勉強は嫌いだったんで、絵で何かできないかと思い美術の大学に入りました。でもいざ就職となると、絵描きには仕事の募集がない。その頃、東映動画の『白蛇伝』が公開されたんです。海外の作品と比べれば日本のアニメーションはまだまだと思っていたのですが、いざ観ると、作品から「絵を動かしてやるんだ!」という力をすごく感じたんです。これからは日本のアニメーションの時代が来るぞと思いました。そこへちょうど学校に東映動画からの募集があったので、クラスメイトを2人誘って試験を受けることにしたんです。ところがクラスメイト2人は合格したのに僕は落ちちゃって(笑)慌てましたね。でも、その後一ヶ月経たないうちに2次募集がありまして、どうにか入ることができました。


なみき たかしさん

  • なみき アニメーション業界では、そういう話が凄く多いです。某スタジオを受けたけど落ちたとか。でも、「そのうち見てろ!」って思うんでしょう。そのあと復活して、大事なスタッフになるというパターンを聞きます。ここは大事な話ですよ。みなさんも1回や2回つまづいても、全然OKですから(笑)

東映動画での仕事

  • なみき 当時の東映動画はどんな様子だったのですか?
  • 小田部 入ったのは良いけれど、どうやってアニメーションを作るのかは知らなかったです。絵が描ければ大丈夫だと思っていたんですね。入ってから、あんなに大勢で作ってるのを知ってみてびっくりしました。
  • 相磯 当時の東映動画は、まだ周りが畑で、「大根畑の中に建っている」と言われてました(笑)その畑を買収して、徐々に敷地が広くなって行ったんです。どうしても籠って仕事していますからで、休み時間には運動が奨励されていました。バトミントンやったり卓球やったり野球をやったり。畑の畔を散歩する人もいましたけど、草むらから蛇が出てきたりしてね(笑)。

  • 小田部 東映動画にはクラブ活動もあったんですよ。スポーツももちろんですけど、お茶やお花などもありました。私は茶道で出て来る和菓子が食べたくて、茶道を選びました(笑)。でもその時には思ってもいませんでしたが、ここで習った作法や所作が、後に『安寿と厨子王丸』*2を描くときに時に役立ちました。
  • 相磯 僕が入った時は、森康二*3さんと大工原章*4さんが東映動画の双璧を成していましたね。『白蛇伝』の時は、ほとんど2人が原画を描いてました。森さんは髭を生やしていて一見近寄りがたいんですけど、すごく照れ屋でとても優しい方で、仕事を非常に丁寧に教えていただきました。杉井ギサブロー*5さんとは同期だったんだけど、彼は3年くらいで虫プロダクションに移籍しちゃいました。僕も虫プロダクションへ誘われたんだけど、長編作品がやりたかったから残ったんです。>
  • 小田部 森さんと大工原さんの下で大塚康生*6さん、中村和子*7さん、楠部大吉郎*8さん、永沢詢*9さんといった原画マンがリーダーシップを取って動画マンをまとめ、班を作っていました。それぞれが得意な分野の原画や動画を担当していたんです。先輩からは「ここは今、群雄割拠の時代よ」と言われたものです。入社してから絵を描くテストを受けたのですが、そこで各班に分かれるんです。私は楠部さんの班に入りました。どうやら楠部さんが引っ張ってくれたらしく、子分みたいに思われてましたね(笑)。楠部さんは腕っぷしが強くてケンカも強い。でも、彫刻家志望だったこともあって、デッサン力が凄かった。そして鉛筆で描く絵は、私にはとてもチャーミングに感じました。

東映動画の長編アニメーション

  • なみき 長編アニメには、いつから参加したんでしょうか?
  • 相磯 僕は『白蛇伝』*10からなんです。動物のキャラクターがいろいろ出て来るんですが、主にパンダ、イタチ、アヒルの動画を描いてました。あの当時は今と違ってパンダなんて誰も知らないんです。たしか森さんが見つけてきて描かれたんですけど、最初に見た時は、これは熊なのかな?と思いましたね。レッサーパンダも知らなくて、これはキツネかなと思ってたくらいで(笑)。 長編をやっていると、自分の仕事が終わると手が空くんです。なので、他のパートの手伝いも良くやりました。トレスをやったり、色を塗ったり。写真を撮るのも好きだったので、撮影の手伝いにも良く行きました。アニメーション以外にも、当時東映動画の1階にあったCMスタジオでの撮影も手伝っていました。それが後で撮影部に移るきっかけにもなったんだと思います。

  • 小田部 私は『わんぱく王子の大蛇退治』*11の時に、動画から原画に引っ張ってもらったんです。初めての原画で緊張してるのに、天早駒(アメノハヤコマ)のキャラクターデザインも任されました。楠部さんは「アニメーターは実力の世界だから、絵が良いか悪いかで決まる。年の差は関係ない」と仰っていましたが、会社的には初めて原画を描く人間に、キャラクターを任せるというのは冒険だったと思います。それでも若手をピックアップしてくれる、東映動画のシステムというのは素晴らしかったですね。良い時代に入社できたなと思います。
  • なみき 相磯さんは、1970年に東映動画の撮影部に移籍されました。僕は相磯さんのお誘いがあって、東映動画の撮影のアルバイトに入ってましたけど、マルチプレーンカメラ*12の動きについて、撮影部のチーフが計算しているのを見てびっくりしました。てっきり、監督の指示があるんだと思ってましたから。

  • 相磯 マルチプレーンカメラは、撮影台が何層にも分かれていて、それぞれにセルを置いたり背景を動かしたり、間にフィルターを入れたりするスタッフの共同作業なんです。演出からの指示はあるんですけど、その通りに撮って行くと画面がガタつきます。車の動き方みたいに最初はゆっくり動き始めてだんだん加速していって、止まる時はスピードを落とすようにしなきゃいけない。「クッション」とか「フェアリング」というのですが、これをつけるのには、カメラや撮影台を1コマにどれくらい動かすかという計算が必要なんです。始めた頃は計算になれてなくて、すごく時間がかかっていました。『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』*13のヤマトの発進シーンでは、最初にもらった指示だと動きが速すぎるので、それを10分の1に計算しなおしました。それでやっと、ヤマトの大きさが出るあの動きになったんです。そういうことが出来る撮影っていうのは面白いですが、失敗すると1から全部やり直しですから難しくもありますね。
  • なみき ありがとうございます。もっともっとお話しを聞きたいのですが、時間が来てしまいました。またこういう機会を作って、ぜひ続きを聞きたいなと思います。
    今日は、ありがとうございました。

小田部 羊一(こたべ よういち)

1936年台湾生まれ1959年に東映動画へ入社。アニメーターとして森康二、大工原章、楠部大吉郎の下で経験を積み、『少年猿飛佐助』『わんぱく王子の大蛇退治』など10年以上東映動画作品に携わる。
1971年に高畑勲、宮崎駿と共にAプロダクションへ移籍。後にズイヨー映像へ移籍し、『アルプスの少女ハイジ』(1974)でキャラクターデザイン・作画監督を担当。日本アニメーション移籍後は『母をたずねて三千里』のキャラクターデザイン・作画監督を務め、その後フリーランスとしてさまざまな作品に参加している。1985年からは、任天堂開発部に勤務し、『スーパーマリオブラザース』シリーズや『ポケットモンスター』シリーズなどの制作にも関わっている。現在も大学の講師を務めるなど、精力的に活動中。
当サイト「練馬ほっとキャスト」には、第1回、第2回のゲストとして登場。
練馬ほっとキャスト 第1回 作画監督 小田部羊一さん その1
練馬ほっとキャスト 第1回 作画監督 小田部羊一さん その2

相磯 嘉雄(あいいそ よしお)

1935年東京生まれ。1958年に東映動画に入社。森康二、大工原章に師事し、『白蛇伝』『わんぱく王子の大蛇退治』『太陽の王子ホルスの大冒険』『空飛ぶゆうれい船』などに参加。1967年にアニメーターの団体・アニドウを立ち上げ、第2代の会長としても活躍。1970年に撮影部に移籍し、『ながぐつ三銃士』『マジンガーZ対暗黒大将軍』『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』『聖闘士星矢 真紅の少年』などの撮影を担当した。1995年に東映アニメーションを定年で退職。2010年からは石神井公園ふるさと文化館のサポーターとして、2012年からは区民学芸員として協力している。また、一般財団法人日本アニメーション文化財団の理事として、アニメーションの歴史的な資料の保存に尽力している。

なみき たかし

1952年生まれ。1969年にアニドウに参加し、1974年には第4代の会長となる。この間、東映動画スタジオで撮影助手のアルバイトを経て、1973年にオープロダクションに入社。『アルプスの少女ハイジ』『ゲッターロボ』等にアニメーターとして参加した。1984年には出版社としてアニドウ・フィルムを設立し、「世界アニメーション映画史」「もりやすじ画集」「小田部羊一アニメーション画集」などの編集・出版を手がける。2006年からは、オープロダクションの代表も務ている。2012年に一般財団法人日本アニメーション文化財団を設立、アニメーション・ミュージアムの設立運動を進めている。

*1 東映動画(現・東映アニメーション)
1956年に練馬区大泉に設立されたアニメーション制作会社。 その設立から初期のスタッフについては、当サイト練馬のアニメスタジオの遺伝子 東映動画編で詳しく紹介。

*2 『安寿と厨子王丸』
東映動画製作の劇場用長編アニメ映画第2作。1961(昭和36)年公開。監督:藪下泰司、芹川有吾。

*3 森 康二(もり やすじ)
アニメーター・作画監督。東映動画草創期から同社を支えた。代表作品は『わんぱく王子の大蛇退治』『長靴をはいた猫』『ハッスルパンチ』など。

*4 大工原 章(だいくはら あきら)
アニメーター。東映動画草創期から、その主要スタッフとして初期の劇場用長編アニメ映画の制作に携わった。代表作品は『白蛇伝』『少年猿飛佐助』『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』など

*5 杉井 ギサブロー(すぎい ぎさぶろー)
アニメ監督。1958年に東映動画に入社。大塚康生の元で、『白蛇伝』に参加。後に虫プロダクションに移籍し『鉄腕アトム』で演出も手掛ける。1969年にグループ・タックを設立。総監督を務めたTVアニメ『タッチ』は大ヒットした。

*6 大塚 康生(おおつか やすお)
アニメーター。東映動画、Aプロダクション、日本アニメーション社、テレコム・アニメーション・フィルムの各社で数々の名作を手がけた。代表作は『太陽の王子ホルスの大冒険』『ルパン三世(1stTVシリーズ)』『未来少年コナン(TV)』『ルパン三世 カリオストロの城』など。

*7 中村 和子(なかむら かずこ)
アニメーター。東映動画の『白蛇伝』より動画として参加。その後、虫プロダクションへ移籍し『鉄腕アトム』『リボンの騎士』などの作画を担当。技術的蓄積がほとんど無かった虫プロダクション黎明期を支えた。

*8 楠部 大吉郎(くすべ だいきちろう)
アニメーター・作画監督。後に東映動画を離れ、アニメーション制作会社のAプロダクションを設立。『少年忍者風のフジ丸』『巨人の星』などを手がける。『大長編ドラえもん』の作品監修を1作目~19作目まで務めた。

*9 永沢 詢(ながさわ まこと)
アニメーター、イラストレーター。東映動画で『白蛇伝』『少年猿飛佐助』『もぐらのモトロ』『わんぱく王子の大蛇退治』などに参加。東映動画退社後は、イラストレーターとして活動している。

*10 『白蛇伝』
日本初の劇場用長編アニメーション映画として歴史に名を刻む東映動画製作の作品。1958(昭和33)年公開。監督:藪下泰司。

*11 『わんぱく王子の大蛇退治』
東映動画製作の劇場用アニメ映画。1963(昭和38)年公開。監督:芹川有吾、作画監督:森康二。天早駒(アメノハヤコマ)は、主人公・スサノオが駆る空を飛ぶ馬。

*12 マルチプレーンカメラ
セルアニメの制作で使用されていた、特殊な撮影台とカメラを組み合わせたシステム。複数のセル画や背景画などを、カメラに対してそれぞれ異なった距離に配置し、それぞれを異なったスピードで動かすことができた。石神井公園ふるさと文化館には、実際に東映動画で使用されていたマルチプレーンカメラが展示されている。
練馬アニメトピックス 特集記事:ふるさと文化講座「東映アニメーションのマルチ撮影台」が開催されました

*13 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』
1978(昭和53)年に東映系で公開された劇場用アニメ映画。アニメーション制作は東映動画。監督:舛田利雄。アニメーション・ディレクター:勝間田具治。総作画監督:湖川滋。

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