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2014年08月22日

「ちばてつや、あしたのジョーを語る」が開催されました。

現在、練馬区立美術館で好評開催中の「あしたのジョー、の時代展」のイベント企画、「ちばてつや、あしたのジョーを語る」が去る8月9日(土)に開催されました。
会場の関係で定員は70名でしたが、実に300名を超える方からの参加希望があったそうです。
劇作家やマンガ評論家としてご活躍中の高取英さんを聞き手に、ちばてつや先生が語った「あしたのジョー」にまつわる約1時間のトークをご紹介します!

照れ屋で純真な故・梶原一騎氏のこと

  • 高取 まず最初に、原作の梶原一騎先生との関係といったお話から。あの強面の梶原先生と一緒に作品をつくられたわけですから、相当気を強くもたないといけなかったのではと思うのですが、いかがでしょうか。
  • ちば 梶原さんは体が大きくて、サングラスをしてたりマフラーをしてたりするからちょっと怖く見えましたけど、非常に純粋な人だったんですよ。ガキ大将がそのまま大きくなったような感じで。すごく照れ屋でシャイで、ちょっと核心を突いてからかったりするとポッと顔が赤くなるという、とてもかわいい人でしたよ。
  • 高取 そうなんですってね。タイトルを「あしたのジョー」と決めるときも、会議室で恥ずかしそうに「あしたのジョー、でどうかな?」と照れながらおっしゃったと。
  • ちば そうです。ちょっと赤くなってね。みんなでそれいいじゃない?って言ったらますます赤くなられてね(笑)。純真な方だったんです。
  • 高取 でも最初のほうは、梶原先生の書かれた部分がなかなか登場しないので、ちょっとむくれたりされたこともあったんですよね?
  • ちば まぁそれは、いま考えると怒るのは無理ないのかなぁと(笑)。原作だと、いきなりジムで打ちあう場面からはじまっていたんですね。これはちょっと私自身もピンとこなかったし、少年マガジンという雑誌は子供が読むものだから、子どもたちが世界に入っていくためにはどうしたらいいかな、ということを考えていたんですね。すでに戦いがはじまっていたんだけど、それは後に回して、その前にどういう状況でどういう少年が街に入ってきたのか、というところから入っていったんですね。だからしばらく導入部のところは梶原さんの原作を使わないで描いたんです。3回くらいかな。そしたら梶原さんは「オレの原作を使わないんだったらオレはやめる」と。編集さんが話をしにいってなだめた、というエピソードがあります。あとになって、子どもたちにわかりやすくするために私なりに脚色して、梶原さんの世界を噛み砕いてわかるように表現したんですと梶原さんに説明したら、「あぁ、そういうことだったのか」と。梶原さんは少年マンガ誌のやり方がわからなかったんですね。だからそういうことだったらわかる、とおっしゃっていましたね。


「あしたのジョー」扉絵原画(『週刊少年マガジン』1972年4月9日号 ちばてつやプロダクション蔵
©高森朝雄・ちばてつや/講談社

  • 高取 ドヤ街の子どもたちも、ちば先生がおつくりになって話のなかでつながらせたんですよね。
  • ちば 梶原さんは骨太の大人たちの世界を書くのが得意な方で、そういう人間たちがたくさん出てくるんですけど、私はそういう大人たちばっかり描いていると疲れてしまうんですよね。ジョー自身もまだ少年でしたから、そういう意味で、ジョーがどういう人間なのかというのを表現するためにも、子どもたちを触媒として間に入れたと。そうするとジョーの子どもらしさ、大人になりかけのジョーとかいろんな部分が出せるので、そういうところは脚色させてもらいました。
  • 高取 ちば先生の作品で「紫電改のタカ」という作品がありますね。紫電改に乗って戦う航空兵のお話で、最後は自分の思いに反して特攻隊で飛んでいくっていうところで終わる反戦マンガなんですけど、その主人公の名前が滝城太郎というんですね。ここにもジョーの文字が入っているんですよね。梶原先生は、ジョーという名前を意識してつけてくれたのではないかとちば先生はおっしゃってましたね。
  • ちば そうかもしれないですね。私は全然そういう意識はなかったんですが、マラソンのマンガも昔少年サンデーで描いたことがあったんです。それは「走れジョー」というタイトルでした。そこでもジョーなんですよね。ほかのマンガでもボクシングをやっているキャラクターを描いたことがあるんですけど、やっぱりジョーっていう名前がいつのまについていて。意識しているわけじゃなく、ジョーっていう名前が好きで好きで、ということでもないんですけど、なにかこう、いつのまにかジョーにしてしまうという(笑)。もしかしたら、梶原さんがそれに気づかれて、ジョーだったらちばさんは乗って描いてくれるんじゃないか、ということでつけてくれたのかもしれませんね。
  • 高取 けっこう気を遣う人だったんですね、梶原先生は。
  • ちば そうですね。

ドヤ街をリアルに描くため”本物”に潜入!?

  • 高取 ちば先生は、ドヤ街を描くために、実際の労働者の町に、取材に行かれたんですよね。
  • ちば 私が住んでたところから川の向こうにいつもそういう街が見えたんですよ。ただ、子どものときですから、周りの大人たちから、子どもたちが行くところじゃないよと言われてました。でも遠巻きに、そういう人たちが街から出入りするところは見ていたんです。だから私には非常に近い場所だったんですね。
  • 高取 その取材のために泊まりに行ったら、宿屋のおばちゃんに、宿帳に名前を書いたとたんに部屋がない、とか言われたんですよね?
  • ちば 宿の入口に、病院の受付みたいに小さな窓だけあるんです。そこに大学ノートみたいなボロボロの宿帳があって、ヒモがついてる鉛筆が置いてあって、それで名前を書けって言われたんですよ。部屋あるの?って聞いたらあるっていうから、それじゃあと。そして大学ノートに書こうとしたら、バッとノートを引っ込められて、鉛筆も引っ込められて、部屋はないよ、ていわれたのね。いやいや、いまあるっていったし、見たら空いてるじゃないかと。僕は入れてって言ったんだけど、ダメだと断られたんですね。要するに私の手が、そこに住んでいる労働者の人たちと違って鉛筆しか握ったことないような手ですから、わかるんですね。これはこの町に住む人間じゃないと。そうすると新聞記者か、警察関係の人か、街のなにかを調べに来た人間じゃないかと。それでちょっと揉めたんですけど、結局ダメだといって小さな窓をパタンと閉められちゃったから、しょうがない、ほかにもあるからいいやと思って出てきたら、もうすでに3人か4人、サングラスをした街の怖い人が、ぐるっと囲むように立ってたんです。いつの間にか情報が伝わるんですね。でも、つい半年ぐらい前にそのあたりに行きましたけど、いまも宿は多いけど、すごくきれいな街になっていますよ。とてもきれいだし安いし、交通の便も良いので外国人の旅行者がたくさん来ていますね。

  • 高取 マンガの中身のお話に入りますけど、わたしが一番驚いたのは、ジョーが少年院に入って、一緒にコーチとしてやっていくであろうと思われた丹下段平が、ジョーと戦う相手の青山のコーチになると。そうするとジョーがおびえた顔をするんですね。主人公があんなにおびえた顔をするマンガなんてほとんどなかったですけど、あのときはどんな感じでお描きになっていたんでしょうか。
  • ちば この青山っていうのは、すごく弱そうで、本当に体も小さくてやせっぽちで、性格も意気地がないような少年なんですけど、そういう少年だからこそ、まず守りに入りますよね。それがこんにゃく戦法とかになるんですけど、このあたりは梶原さんがとてもよく考えてくれたんだろうなぁと思います。こういうキャラクターがいて、しかも自分の父親代わりと思っていた人が、戦う相手のお父さんみたいになっちゃうわけでしょう。ジョーは寂しがりやですから、精神的にもすごく不安になるし、やむにやまれず非常におびえた状態になる。だけど、そこに嫉妬心も芽生えますよね。そういう、人間心理を深く追求したような作戦で、ジョーという攻撃しか能がなかった人間が、防御というものを体で覚えていくわけですね。精神的に追い込んだうえで覚えさせていくっていう段平の知恵は、梶原さんの非常におもしろいストーリーテリングだったと思います。
  • 高取 青山の動きを見て、ジョーが足さばきを真似するんですよね。当時の編集長の内田勝さんが「あしたのジョーは教師と教え子を見本にした」とおっしゃっていましたね。「巨人の星」の場合は父と子なんですよね。教師として直接教えるんじゃなくて、戦う相手を持ってきてここから自分で学べよ、という、非常に高等な教育なんですよね。
  • ちば ジョーという人間の性格が、上からああしろこうしろと言われると反発するだけで全然覚えようとしないということは織り込んだうえで、青山を使って防御の大事さを教えていく、ということでしょうね。

裏街道を歩くおニイさんたちは身近な存在だった


『週刊少年マガジン』(1971年4月1日号) 表紙絵原画 ちばてつやプロダクション蔵
©高森朝雄・ちばてつや/講談社

  • 高取 こういうマンガを描いているときは、ちば先生はどういう感じでお描きになるんですか。誰かに感情を合わせたりとか?
  • ちば そうですね、やっぱり段平の気持ちになったり、ジョーの気持ちになったり、青山の気持ちになったり、ジョーを脇で支えるマンモス西という人物がいますけど、西はどういう気持ちでジョーを励ましているんだろう、とかね。マンガ家はみんなそうですけど、キャラクターひとりひとりの気持ちになりながら描いていくわけです。そうするとその表情なりセリフなり、体の動きとか、そういったものがすべて出てくる。その人間の気持ちにならなきゃなかなか描けないんですね。それもあって、私は原作がきてからマンガにするまでにものすごく時間がかかったので、ずいぶん編集者の方を困らせましたね。お話がちゃんとできているのにどうしてそんなに時間かかるの?とよく言われました(笑)。そこに時間をかけることによって、それぞれのキャラクターが生き生きと描けたんじゃないかなとは思いますけど。
  • 高取 少年院で宿命のライバルとなる力石徹と出会って、ボクシングの試合を重ねて、プロになってからも戦うんですけど、その前にウルフ金串という強敵と戦いますよね。ウルフ金串がジョーに敗れた後、顎を複雑骨折して、そのままボクシング界から姿を消して、再びジョーと出会うときにヤクザの用心棒になっているんですよね。少年マンガでヤクザが出てくるのは、当時としては珍しいんですけど、ちば先生の『ちかいの魔球』(福本和也・原作)で主人公の二宮光の肩を空手のような技で蹴る人物もヤクザ風の人でしたよね。
  • ちば そうでしたね。
  • 高取 先生はわりとそういう人物を描くのがお得意だったんですね。
  • ちば 私が住んでたところは、そういう倶利迦羅紋紋を背負ったような人たち(注:刺青を入れた人たちのこと)が銭湯に入ってきたりという雰囲気は身近によくありましたよ。両国も近いですから、お相撲さんたちもたくさんいましたけど。そういう、ちょっと世をすねたような、裏街道を歩くような人たちもけっこう近所にも住んでましたので、非常に身近に感じていました。
  • 高取 ゴロマキ権藤という人物が出てきて、これは本物のヤクザですけど、ウルフ金串をやっつけたりして、ジョーが怒ってそのゴロマキを倒したりしますね。ゴロマキはそのあとジョーのコーチに招かれますけど、そういう裏世界の人間を描くことで、この作品に幅が出ましたよね。
  • ちば 私が本来もっているキャラクターというのは、少年時代のジョーとか、あとは子供たちですよね。やんちゃな下町の子どもたちとか、乾物屋の一家とか。そういうのが非常に描きやすいんですけど、大人の男たちで、しかもちょっと裏街道を歩くような人たちは、よく見かけはするんだけど、生き様っていうのかな、なんでこういうふうに擦れてしまうんだろうか、どうしてこういう日陰を歩くようになってしまうんだろうか、ということがよくわからなかったんですよね。そのあたりを梶原さんがとてもよく掘り起こして原作として書いてくれたと思います。それがうまくミックスされて、深みのある、人生を考えさせるような世界を表現できたのではないかと思います。

前代未聞の力石徹の葬儀、その内幕


「力石徹告別式」チラシ 1970年 テラヤマ・ワールド蔵
©高森朝雄・ちばてつや/講談社

  • 高取 これもよく質問されていると思うんですが、当時は学園闘争の時代で、世の中を変えなきゃいけないと暴れていた学生が大勢いましたよね。なかでももっとも過激といわれた赤軍派が日航機をハイジャックして朝鮮民主主義人民共和国に飛びますけど(注:1970年に発生したよど号ハイジャック事件)、そのときの声明文で「最後に確認しよう、我々は明日のジョーである」(原文ママ)という一文がありましたよね。あれを知ったときはどんなお気持ちでしたか?
  • ちば いやぁ、気持ち的にはちょっと迷惑でした(笑)。こんなところで「あしたのジョー」を使ってもらいたくないなぁと思いましたね。まぁだけど、ちゃんと読んでくれてたんだなぁと考えると、かわいいなぁとも思いましたね(笑)。
  • 高取 今回の展覧会では、「文藝春秋」のその声明文のページも公開されていますよね。あれは私もぎょっとしましたね。当時私は高校生でしたけど、なんでハイジャックの人たちはあしたのジョーと名乗ったんだろうって。
  • ちば 同時期に東大紛争(注:1968~1969年に発生)もありましたよね。水浸しになった東大の大講堂のなかに、少年マガジンとか少年サンデーとか平凡パンチとか、当時若者たちが読んでいた雑誌がたくさん積んであったと。それを読みながら戦ってたんだというのを新聞などで見ましたけど、そういう時代だったんですよね。それ以前は中学高校くらいになると、マンガっていうのは子どもが読むものだからやめなさい、という意識が強かったんですけど、団塊の世代、いまの60から70歳くらいの方たちが高校から大学に入ってくるあたりにマガジンやサンデーが出て、その世代にあわせて作品のレベルも少し大人っぽくなってくるんですよね。
  • 高取 少年向けから青年向けになっていきましたね。梶原先生の弟さんの真樹日佐夫先生が原作の 過激な不良高校生を描いた「ワル」(影丸穣也・漫画)とかありましたね。明らかに少年向けは超えてましたね。
  • ちば ジョージ秋山さんの作品とかもありましたね。
  • 高取 もうひとつ、これも何度も質問されていると思うんですけど、寺山修司さんが中心となって、人気キャラクターだった力石徹が亡くなったときに講談社で葬儀を行なわれましたよね。このときは、どんなふうにお考えになりましたか。
  • ちば これも私は困ったなぁと思いましたね(笑)。誰かがそういうことを言っているというのはなんとなく噂では聞いてたんですけどね。寺山さんもけっこう熱心にジョーを読んでくれてたみたいだし、劇団(天井桟敷)の若い人たちもみんな読んでくれていたみたいで。
  • 高取 東由多加さんっていう寺山さんの弟分で東京キッドブラザーズ主宰の人がいるんですが、この人がすごく熱心でしたね。
  • ちば みんなで芝居とか稽古が終わって、打ち上げだか飲み会をしたときにマガジンを読みまわして、力石が死んだんだからお葬式を出さないわけにはいかないだろう、って誰かが言い出したらしいんです。みんな飲んでるもんだから、勢いで「やろう」ってことになって。講談社に申し込んで、場所を提供しろとか交渉して。講談社の社屋の講堂、これはいまでも残っていますけど、そこにリングをつくって、護国寺からお坊さんを呼んで、お経もあげてやろうと。詳しいことは私もあまり覚えてないんですけど、お葬式だから参列してくれ、って言われて、私は二日くらい徹夜した後だったので、ちょっと悪いけど少し寝たいからパスします、て言ったんですね。そうしたら、いやいや会場には読者の人がたくさん来てるし、そっちに車回したからと。しょうがないから車を待っていたら、梶原さんは練馬の大泉にお住まいで、私は富士見台ですから、先に梶原さんを乗せて来たんです。そうしたら梶原さんが真っ黒なスーツを着て黒のネクタイをして神妙な顔をして座っていまして。私は寝ようとしてたからまだパジャマだったんですけど(笑)、あわてて黒い服に着替えて乗りましたね。ずっと車のなかで、誰がそんな冗談を言い出したんだろうねーって話をしていたんですけど、護国寺の角を曲がったあたりからずらーっと列ができてて。ずいぶんたくさんの人が並んでいるので、今日は何かの特売日かなと。そうしたら行列が講談社の門の中にまで入っていて、よく見たら腕章をしている人とか、お線香を持っている人とか、お花を持っている人もいて、やっと力石のお葬式に来てくれた人たちなんだとわかったんですね。目を真っ赤にして涙ぐんでいる人もいたし、ちょっとショックでしたね。マンガのキャラクターを、本当に身近な身内が死んだくらいに思ってくれていたんだと思いましたし、梶原さんもきっとショックを受けていたと思います。
  • 高取 漫画のキャラクターのお葬式は前代未聞ですよね。その後もああいう形ではないような気がします。しても真似っこと言われますしね。そういえば、力石徹を殺すか殺すまいかという話を梶原先生と酒場でしていて、この人たちは危ない人だと言われたというエピソードもあるんですよね。そもそもは、力石徹を巨大に描いてしまったところから、減量苦から死にまでつながってしまうんですよね。


「あしたのジョー」扉絵原画(『週刊少年マガジン』1970年2月8日号)ちばてつやプロダクション蔵
©高森朝雄・ちばてつや/講談社

  • ちば そうですね。これは私のミスなんです。ただ、言い訳じゃないんですけど、原作っていうのは新聞小説の1回分か1回半分くらいの原稿用紙が来るんですけど、それには雰囲気は書いてあっても身長とか体重とか骨格とか、そういった表現はされていないんですね。いちばん最初にジョーと力石が出会ったとき、段平が書いたハガキを力石がジョーに届けにくる。こんなものが来たと言って軽蔑的にハガキを投げてよこすような場面ですね。当然ジョーはハガキを拾うというか、かがみますよね。かがんで見上げると、そこに力石が、軽蔑して見下したような目で立っている、と。だからジョーにしてはちょっと大きな男を見上げるような絵を私はイメージしてしまったので、頭一つ大きく描いてしまったんでしょうね。そのときに、いずれ少年院を出たあともライバル関係になるんだとはっきり決まっていたら、たぶん梶原さんははっきりとそう書いたと思うんですよね。そんなに体重は変えないように、とかね。梶原さんとはお互いの家をしょっちゅう行き来していて、難しいお話のときはこのキャラクターはこのあとも大事なんですか、あるいはちょっとすれ違うだけのエピソードでいいんですか、というような内容を相談していたんだけど、そのときは一切そういう話がなかったんです。力石を大きく描いてしまった後しばらくは、そういう反応がなかったんですね。ただ、少年院を出てからプロの世界で戦うとなると、この骨格の差は困ったね、ということになったわけです。たぶん梶原さんはああいう大きなライバルになると思わないで私に原作をくれたんだと思います。ただ、私が描いたキャラクターが、日本人離れした彫りの深い男で、少しニヒルな、それまでにないキャラクターだったので、私自身もそうですけど、梶原さんはとっても気に入ってくれたんだと思います。これはこのまま少年院だけのかませ犬、喧嘩相手で終わってしまうのはもったいない、ということで膨らんでいったんだと思います。それにつけても、この体の大きさをどうしよう、と苦しまれたとは思いますけどね。
  • 高取 その結果、減量苦の表現があって壮絶なマンガになっていったので、結果的にはよかったですよね。
  • ちば そうですけど、ちょっとかわいそうでしたね。育ちざかりの若者があれだけ減量するっていうのはすごくつらい話だったなと。私も空腹の時代を知っているだけにね。

ちば先生のマンガ的演出マジック!!

  • 高取 カーロス・リベラが戦っているシーンで、場面全体がすごく白いシーンがありますよね。これって、あの有名なラストシーンみたいに、白を最大限に生かした素晴らしい演出だと気づいたのですが。
  • ちば カーロスが観客の度肝を抜くすごい戦いをするんですよね。すごいパンチが入って、そこからめくったページのコマが全体的に白いという。
  • 高取 これは手抜きじゃないんだよーとどこかでコメントなさっていますよね(笑)。
  • ちば これはねぇ、ペンを入れるときはすごく楽でした(笑)。ただ、コマを割るときに普通のページの三倍くらい時間がかかりましたね。どのコマを白くして、しぶきを飛ばして、というバランスを決めるまでが半日以上かかったと思います。編集者がなんでこんなに時間かかるのかとイライラされて、時計見ながら小突かれたのを覚えています。いつも私は描くのが遅いんですが、特にコマを割るのがいちばん時間かかるんですね。演劇でもそうですけど、やっぱり演出が命ですからね。
  • 高取 マンガの場合はコマ割りが命っていいますよね。コマをどこに割ってどう演出を入れるかっていう。
  • ちば どこでめくりを入れるかとか、めくらせたところにどういう絵が出てくるかっていうことの連続ですから。そのへんはものすごく時間がかかるんですね。
  • 高取 その後もう少し話が進みますと、金竜飛という人物と戦いますけど、この人物は朝鮮戦争のときに飢えで苦しんでいて、少年時代にお父さんを殺してしまった、という悲劇を語りますね。先生は満州の引揚の経験もあったので、そういうのも合わせながらこの作品を描いた、とどこかでおっしゃっていましたね。
  • ちば 描き始めのころは、満州とか中国の大地を思い出して描いたわけではなかったんですけど、いろんなところで人が倒れていたりとか、沼みたいな水たまりで水を飲んだり、という現場を思い出して、いつのまにか自分たちが逃げ回っていた引き揚げの時代をなぞって描いてるなぁってことに途中で気が付きましたね。

ジョーにふさわしいヒロインは誰だ!?

  • 高取 この作品にはふたりのヒロインがいますよね。ひとりは白木葉子ですけど、先生はこの白木葉子がよくわからなかったから林紀子というもうひとりのヒロインを登場させた、とおっしゃってますよね。
  • ちば そうですね、女性のことはいまだによくわからないんですけど、特に深窓の令嬢、いわゆる大金持ちのお嬢様のような女性はまったくおつきあいしたこともないので(笑)わからないんですよね。どういう気持ちで、何を考えてこういうことをするんだと、行動のひとつひとつがわからなかったんですね。だから、この女性についてはほとんど原作どおりです。梶原さんは理解している部分はあったんだろうと思いますけど、私は白木葉子という人間が何を考えているのか、ということはほとんどわからないままずっと描いていたんですね。
  • 高取 葉子が少年院に慰問に行ったときに学生劇団を率いているので、学生なのだからジョーより年上ではないか、という説があるんですけど。同じくらいの歳ですよね。
  • ちば そのへんは私もよくわかりません(笑)
  • 高取 先生はどちらかというと、ご自身のつくり出した紀ちゃんとジョーを結婚させたいかなぁ、とどこかでおっしゃってましたね。
  • ちば ジョーは下町の子どもたちが好きですよね。その子どもたちに紀子は慕われているし、減量のときはトマトのサンドイッチをつくってくれたりとか、着てるものを洗濯してくれたりとか、こまめに面倒をみてくれていますからね。
  • 高取 良妻賢母型ですよね。
  • ちば そうですね。だから紀子と一緒になったらジョーは幸せになるんだろうな、と私はずっと思っていました。
  • 高取 でも、紀ちゃんはついていけないと言ってジョーをふりますよね。これはどうしてついていけなかったんでしょうかね?
  • ちば 紀ちゃんがジョーに、あなたはなんでそんな減量をして、つらい練習ばっかり重ねて、しかも殴り合って、ボクシングにこだわるのか、ということを聞く場面がありますね。そのときにジョーは力石のこととかいろんなことが頭のなかにいっぱいあるから、熱く語ってしまうわけですね。それで紀子はジョーの気持ちについていけないと、すっと離れるんですけど、別にふったということじゃないですよね。
  • 高取 微妙なところですね。
  • ちば そうですね。だからジョーもびっくりして、紀子が離れていったときになんで離れていくんだろう、と見送る場面があると思います。その場面は、背景を真っ暗に描きました。
  • 高取 紀子の結婚式のときに、ジョーがちょっとふざけたりして、紀子が非常に複雑な顔をするんですよね。これはこのマンガの連載中いちばんびっくりした表情でしたね。これはどんな心理ですかね。
  • ちば 読んでくれている方はわかると思いますけど、紀子はジョーのことが好きだし、ジョーも紀子のことが好きだったんですね。ただそれをうまく言えずに伝えることができないし、相手の気持ちをなんとなく感じることができない。しかもいちばん身近な西という親友に紀子の気持ちが傾いていくわけでしょう。ジョーはお祝いの言葉を言おうとするんだけど、これもうまく言えないから、おちゃらけてふたりをからかってしまうんですよね。バカなことを言って。それに対して紀子としては、からかわれたということもあるし、せいぜい幸せになってくれとか言われて、突き放されたような気持ちになったんじゃないかな、と思いながら私はこの顔を描きました。
  • 高取 これ以降出てこないんですよね、紀子は。マンガではこれが最後ですよね。ちば先生はダメなやつにも優しくて、減量できなくてうどんを食べてしまったマンモス西に対しても幸せになってほしい、とどこかでおっしゃってましたね。
  • ちば 西という人物は私に重なってましたから(笑)。まぁ食べてしまうだろうなぁと。しょうがないですよね。人間というのはすごく厳しく自分を律して生きていける人間と、どうしてもできない人間はいるので。できなくてもそれはそれでひとつの人生だし、彼は彼なりにがんばってがんばってそれでもうどんを食べてしまったっていう負い目もあるし、いろんなことがつらかったと思うんですよね。だから西の気持ちは私はとてもよくわかるんですよね。
  • 高取 直木賞作家の姫野カオルコさんという方がいるんですけど、20代のころに白木葉子が好きか林紀子が好きか、同世代とか上の世代の男性に聞いてみたところ、圧倒的に林紀子ファンが多かったそうですね。
  • ちば そうですか。白木葉子はわからないまんま描いてるから、ずーっと謎の女性だったんですね。最後の最後にジョーが世界タイトルマッチのリングにあがる寸前に、リングに上げたくない一心で自分の心を吐露する場面があるんですけど、そのときにはじめて私もわかったんですよ。あぁこの女性はずっとジョーのことを想っていたんだと。はじめて理解できたので、それから葉子をいきいきと描けるようになったんです。
  • 高取 残り少なかったですけどね(笑)。最後にグローブをあげる名シーンがありますよね。
  • ちば その前の、後ろ手でドアを閉める、あのシーンを描いたときに、葉子のことをはじめて理解ができたんですね。
  • 高取 つらつら思うと、ジョーには白木葉子でもなく、林紀子でもなく、サチが実はぴったりくるのではないかと。あしたのジョーのゲームで、最後にこのふたりが結ばれるというのがあったんですよ。計算すると、10歳くらいしか違わないですよ。だからもうちょっと経てば問題ないのかなと(笑)。
  • ちば サチだったらジョーは幸せになれるでしょうねぇ。男勝りの子ですけど、下町の女性のいいところを全部持っている女性だと思います。
  • 高取 白木葉子にちょっと嫉妬するところとか、かわいいですよね。
  • ちば 小さいのに一人前にやきもちを焼くんですよね。
  • 高取 というところで、お時間がきてしまいました。本日は先生、長い時間どうもありがとうございました。
  • ちば ありがとうございました。

高取英(たかとり えい)

1952年大阪府生まれ。劇作家、マンガ評論家、編集者。月蝕歌劇団主宰。大正大学客員教授も務める。

©高森朝雄・ちばてつや/講談社

あしたのジョー、の時代展

「あしたのジョー」の作品世界を、100点以上におよぶ原画によって構成し、アニメやレコードなど同時代の関連資料から作品の広がりを紹介します。また、寺山修司や土方巽など、ジョーと同じ時代を生きた芸術家たちの活動をたどり、その時代を振り返ります。会期中のイベントも多数開催されます。

【会期】平成26年7月20日(日曜)〜9月21日(日曜)
【休館日】月曜日(ただし、7月21日、9月15日【月・祝】は開館、翌日休館)
【開館時間】午前10時〜午後6時※入館は午後5時30分まで
【観覧料】一般500円、高大学生及び65〜74歳300円、中学生以下及び75歳以上無料(その他各種割引有)
あしたのジョー、の時代展(練馬区公式ホームページ)
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